――― カーンルイアを殲滅せよ。生きとし生ける者全てを薙ぎ払い、厄災を食い止めよ。
天理からの通達を受けたのは、カーンルイアから不穏な風を感じた数日後のことだった。
風神バルバトスが指定された地点へと赴けばそこには他の七神達が顔を連ねており、下された命が誇張ではないことを知った。
普段のように茶化す言葉を投げかけられる程風は穏やかではなく、むしろどんよりと重く全身に纏わりついて来る。
何故今彼の国を亡ぼすと天理が決断したのか、彼女の駒でしかない自分達には分からない。
唯一、彼女の考えを知るだろう男は琥珀を閉ざして腕を組んだまま瞑想にふけっているようだ。
他の七神達もバルバトスと同じく彼に―――岩神に説明を求めたいと思っているのだろう。何度も彼に視線を向けていたから。
しかし、それらの視線に気付いているだろう男は沈黙を貫き、やがて約束の時間が訪れる。
空間を裂いて現れたのは残酷な女神で、彼女は自身の忠実な下僕達にカーンルイアが牙を剥いたことを伝えた。
土地と富を求めた愚民たちが他国に攻め入る算段をしていると告げられた時、にわかには信じられないとどよめきが走った。理に背くわけではなかったが、いくら何でも急すぎる。と。
だがしかし、そんな七神達の耳に、目に、戦火が聞こえ、映る。
命を持たない機械人形達の行進は轟々と炎を伴い練り歩き、その後ろには見たこともない魔物らしき姿が連なっていた。
その様は、まさに深淵。
固唾を呑んだのはバルバトスだろうか。それとも他の誰かだろうか。
言葉を失い遠方から迫りくる狂気を食い入るように見つめていれば、「民を守りたければ尽力せよ」と笑みと共に言葉を残し、天理は消えた。
その後のことは、あまり良く覚えていない。
自国を守るために、狂人達に暴挙を許すなと七神達は散り散りに戦火に飛び込んでいった。勿論、バルバトスも。
行進を続ける機械人形達を破壊し、テイワットで見たこともない異形の生物を次々と手にかけた。
まるで虫のように湧いてくる狂気に気圧されながらも必死に進行を食い止めるべく、皆が力を尽くした。
やがて機械人形の大半をただの鉄屑に帰した頃、現れたのは第二陣。
新たな機械人形と異形の生物。そして、武装したカーンルイアの民達―――。
この世界に属さぬものだと力を振るっていたバルバトスは、その姿に攻撃の手を止めてしまった。
それにいち早く気付いたのは悪友とも呼べる存在。
今まで聞いたことの無い怒号が聞こえ我に返ったバルバトスがまず見たモノは、自身に迫りくる刃だった。
反射的に渾身の力でそれを薙ぎ払うバルバトス。機械人形のそれだと思ったのだ。
だがしかし――――。
「うそ……」
視界を彩るのは、赤。
血飛沫を吹き出し崩れるのは、この世界に生まれ落ちた『命』だった。
まるでスローモーションのように倒れるカーンルイアの民。その光景に絶望するよりも先にバルバトスの世界に飛び込んできたのは、追撃ーーー。
ダメだと叫ぶ理性とは裏腹に反射的に身体が動いてしまう。
繰り出される突風は彼に迫りくる命を次々奪ってゆく。
(ダメ……、だめ……)
立ち上がらないで。向かってこないで。
そんな願いも虚しく、狂気は止まない。カーンルイアの民達は憎き神々の首をとれと雄叫びを上げ刃を振りかざす。
この世界に生きる命を前に、仮初の神は悲鳴のような声をあげる。だがその声は狂気にかき消され、誰の耳にも届くことは無かった。
続くのは、殺戮。ガラクタと屍が連なる大地は、まさに地獄と呼べるものだろう。
バルバトスが有する真っ白な翼は赤く染まり、それらが全て『神』が守るべき命が付けたものだと思うと涙が溢れて止まらなかった。
侵略を食い止める友の姿は確認できないが、遠くから聞こえる雷鳴や全てを焼き尽くす業火と悲鳴にまだ戦いは続いていると教えてくれる。
自分も戦地に赴かなければ。
与えられた命をまっとうしなければと自身を奮い立たせるバルバトスは、命を吸い取り重くなった翼を広げた。
「―――……」
「!?」
友人達が戦いを繰り広げる死地へと向かおうとしたその時、僅かに耳に届いた音は羽ばたきを止めた。
弾かれたように振り返るバルバトスは何かを探す様に周囲を見渡している。
やがて瓦礫の山に目を止めた彼は、急ぎその場に駆け寄った。
必死に鉄屑を掘り起こすバルバトス。力を使わないのは、この先に在る『命』を護るためだった。
「! 大丈夫!?」
鉄屑に埋もれていたのは、幼い少年だった。
今にも瓦礫に押し潰されそうな『命』を救おうと手を動かすバルバトス。しかし、積み重なった狂気の残骸は救い出すよりも先にその命を彼の目の前で奪い去ってしまう。
嫌だと。ダメだと叫ぶ声は誰にも聞こえない。
バルバトスはその場に蹲り、この戦いに何の意味があるのかと悲痛な心を吐き出した。
これほどまでに意味のない戦いなど無いと己の過去と今を重ねて泣き叫ぶ彼に降り注ぐのは、黒ずんだ雨。
戦火はまだ轟々と燃え盛っていることを教えてくれるその雫に、バルバトスが零すのは心からの謝罪だ。
失われた『命』達に、どうか安らかな眠りをと願わずにはいられなかった。
(どうして人は傷つけあうの? どうして同じ命を奪い合うの……?)
何故人は争うのか。何故平穏を喜べないのか。
風の元素精霊であったバルバトスには、その答えは永劫分からない……。
先程まで宿っていた『命』の器に手を伸ばすバルバトスは、己の力を使い、苦しみから幼子を救い出す。
「ごめんね……ごめんね……」
仮初とは言え『神』である自分達が奪った『命』に繰り返し乞うのは贖罪。だがその言葉に返ってくる音は、もう聞くことは永劫ない――――。
器だけとなった存在を抱きしめ、涙するバルバトス。
早く戦地に戻らなくてはと己の使命を訴えてくる心と、もう戦いたくないと訴えてくる心に挟まれ、動くことができない。
降り注ぐ雨は強さを増し、戦いの激しさを物語る。
赤く染まっていた翼を洗い流す雨に、たとえ赤が洗い流されようともこの翼についた罪は決して消えることは無いと名も知らぬ少年の亡骸を強く抱きしめる。
もしもこんな姿を友が見れば、裏切り者だと断罪されるだろう。それを分かっていながらも、立ち上がることができない……。
(ごめんね……、でも……でももう少しだけ、この子の傍にいさせて……)
戦いには必ず戻る。だが今は、目の前で消えた『命』のために祈らせて欲しい……。
打ち付ける雨から幼子を守る様に抱きかかえるバルバトス。
だがその時、ふと自身に降り注いでいた雨が止んだことを知る。
水神が降らせているだろう雨が止んだことに覚えるのは友人達の安否。
慌て顔をあげたバルバトスは、息を呑む。何故なら雨は止んでなどいなかったからだ。
(…………モラクス……?)
いまだ死地に降り注ぐ雨は勢いを増す一方。
それでも自分達に降り注いでいたそれが止んだのは、先程までは其処に存在していなかったはずの岩の屋根のおかげだ。
思わずあたりを見渡すも、他者の気配は何処にもない。しかし、僅かに残る岩の元素力は確かに彼のものだった。
(ありがとう…………ありがとう、モラクス……)
真っ先に怒声を浴びせるだろう友人の姿を思い出すバルバトスは、この戦いから生還できれば嫌と言うほど小言を聞くよと涙ながらに笑い、そしてこれから奪われるだろう『命』を想い、泣いた。