ウェンティはふと目を覚ました。
寝惚け眼に映るのは見慣れた天井。
視界が薄暗闇に覆われていることから夜明けはまだのようだ。
夢うつつのまま寝返りをうてば、ぼふっと腕が毛布を叩いた。
(あれぇ……?)
違和感にわさわさと腕を動かすウェンティ。
いつのまにか閉じていた瞼を頑張って持ち上げれば、其処にはいつもは在るはずの姿が見当たらなかった。
(いま、なんじ……?)
眠い目を擦りサイドテーブルに置いたスマホへと手を伸ばす。
掴んだそれで時間を確認すれば、深夜2時だった。
(えぇ……、まさか、あさがえり……?)
確かに『遅くなる』という簡素な連絡は夕暮れに受けていた。
だから昨夜は適当に食事を済ませ、帰りを待ちながらも先にベッドに入った。
そしてそのまま気が付けば寝落ちていたようだが、日付が変わるまでには帰って来ると思っていただけに機嫌を損ねてしまうウェンティ。
別に浮気を疑っているわけではないが、そうならそうと連絡を入れてもらいたい。
(連絡は……、うん、やっぱり入って無い)
確認するも、着信はおろか、メールは届いていないし、チャットアプリも夕暮れの連絡が最後だった。
暗闇でスマホの光で照らされた愛らしい顔は頬がプクッと膨らんでいる。
(ボクが同じことをしたら凄く怒るくせに)
これは暫くエッチを拒否する案件だ。
まぁ、拒否をしてもなんだかんだと受け入れてしまう未来が見えなくも無いが、それはそれということで。
(とりあえず、何処にいるか確認しないと)
真っ先に不貞を疑ってしまったが、もしかすると連絡が出来ない状況なのかもしれない。
過った可能性はウェンティを不安にさせた。
(事件とか事故とかだったら、どうしよう……)
襲い来る不安に、もしそれなら浮気の方がマシだと恋人が無事であることを祈りながらチャットアプリを再び開いた。
(『今、何処にいるの?』っと……)
このメッセージを送って返事が無ければどうしよう。
そんなことを考えると、送信ボタンが押せなかった。
だが、今ウェンティに出来ることはこうやって連絡を入れることぐらいしかない。
迷っていたところで恋人が――鍾離が隣に居ない事実は変わらないのだから。
意を決してメッセージを送ろうと息を呑む。
だが、送信ボタンを押すよりも先に、隣の部屋から物音が聞こえた。
(なんだ、帰って来てたのか……)
意識を向ければ気配を感じる。
事故でも事件でも浮気でもなかったと安堵したウェンティは、隣の部屋――書斎――にいるということは、持ち帰った仕事をしているのだろうとベッドを降りた。
「さむっ……」
暦上は春とはいえ、まだまだ寒い。
そう言えば寒波が来ているとか天気予報で言っていた。
パジャマだけでは寒いから、ナイトガウンを羽織って寝室を後にする。
向かうのは勿論、書斎だ。
驚かさないようにドアをノックすれば、名を呼ぶ声が返って来た。
それを入室の許可と捉えてドアを開ければ、机に向かう後姿が目に入った。
「お帰り、モラクス」
「ただいま、バルバトス」
隣に立てば、机にはレポートらしき書類の束が幾つも散らばっていた。
真剣な面持ちでそれに目を通している姿は教授然としてカッコいい。
「こんな時間まで仕事をするなんて珍しいね」
いつもは叶わない額へのキスを落とすと、難題にぶつかったのかと尋ねてみる。
鍾離に限ってそんなわけはないと思っているのは、彼の優秀さを誰よりも知っているからだ。
「いや。来週開催される学会に急遽顔を出すことになっただけだ」
「学会……。なら、それはその資料?」
「ああ。あまり詳しくない研究のモノもあるから、関連する論文に目を通している」
視線が貰えなくて寂しい。
だが、仕事に真摯に向き合う横顔はウェンティが好きになった鍾離そのものだから、寂しさよりも愛おしさが勝った。
「そっか。……あまり根を詰めすぎないようにね?」
「分かっている。心配するな」
「ん。お仕事頑張ってね」
「ああ。……暫く寂しい思いをさせてしまうが、すまない」
一区切りついたのだろうか。
視線をくれる鍾離の笑みは申し訳なさそうなものだった。
ウェンティはそんな恋人に翡翠を細めて微笑むと、今一度額にチュッと口付けを落とした。
「大丈夫だよ。ちゃんといい子にしているから、安心して」
「学会が終われば必ず埋め合わせをする」
「そんなの良いのに。ああでも、どうしてもって言うなら、一つだけ」
「なんだ?」
「仕事に集中し過ぎずに、食事と睡眠はちゃんと取って欲しいな」
「それは埋め合わせではないだろう?」
「うん。でもボクにとっては一番大事なことだよ。無理をしてモラクスが病気になるとか絶対嫌だからね」
だから、これが学会までボクに寂しい思いをさせる埋め合わせ。
ちょっと無理があるだろうか? なんて内心は不安だった。
だが鍾離は笑みを浮かべ、分かったと頷いてくれた。
「俺はできた伴侶を貰ったものだ」
「今頃気付いたの? ボクは昔から『良いお嫁さん』だよ」
自分で言うなと笑いながら鼻を摘まんでくる恋人に酷いと笑う。
本当はもう少し戯れていたいが、仕事の邪魔をするわけにはいかない。
ウェンティは名残惜しいがもう一度眠ると告げ、愛しい恋人の頬に口づけを贈った。
「ゆっくり休め」
「うん。モラクスもある程度区切りが付いたら、おいでよ?」
「分かっている。……おやすみ、バルバトス」
「おやすみ、モラクス。お仕事頑張ってね」
鍾離から返って来たのは唇への口づけ。
触れるだけだが甘いそれにウェンティははにかみ、書斎を後にする。
寝室に戻るとナイトガウンを脱ぎ、僅かに熱を残すベッドにもぐりこむ。
(早く学会、終わると良いなぁ……)
この年になって一人寝が寂しいなんて、幸せな悩みだ。
(そうだ。明日から夜食、作っておいてあげようっと)
顔を合わせる時間が少なくなるが、僅かばかりの辛抱だ。
ウェンティは、夜食には労いのメッセージも添えてあげようと考えながら再び夢の中へと落ちてゆく。