TREMOLO [ANNEX]

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林檎味のキス



 穏やかな気候に恵まれた実りの季節は、食べ物も飲み物も一際美味しくなる。
 だからついつい料理も楽しくなって、今日は朝から気合いを入れてパイを焼いてしまったぐらいだ。
 きつね色に焼き色がついたそれはバターとシナモンの香りが立ち込め、匂いだけで幸せな気持ちにさせてくれる。
 サクッと軽快な音を立ててナイフで切り分ければ、煮込まれたリンゴがゴロッと一切れ溢れてきた。
 パイと零れた林檎を取り分けたウェンティは、皿を手に取り胸いっぱいにその香りを吸い込んだ。
「うーん! いい匂い!」
 我ながら上出来だと自画自賛しながら踵を返す彼が向かうのは、リビングのテーブル――ではなく、階上のバルコニー。
 軽快な足取りで階段を駆け上がり目的の場所へと到着すれば、サイドテーブルを挟んで置かれた2脚の椅子の片方で寛いでいる鍾離が「上手くできたようだな」と振り返り笑ってみせた。
「うん! ほら、見て見て! すごく美味しそうじゃない?」
「ほう。これは……、店で売っていても遜色ないな」
「それは褒め過ぎ!」
 もう! じいさんってば適当なんだから!
 大袈裟な誉め言葉は返って嘘に聞こえると言いながらも、表情は上機嫌そのものだ。
 楽しそうなウェンティに鍾離も笑みを深くし、皿を受け取るとサイドテーブルにそれを並べる。
 ウェンティが空いている椅子に座るとほぼ同時に、差し出されるフルート型のシャンパングラス。
 それを受け取れば、鍾離が微発泡の林檎酒を注いでくれる。わざわざ隣国モンドから取り寄せてくれた出来立ての酒はいつも呑んでいるモノよりもずっと香りが爽やかだ。
 風味が損なわれないよう酒瓶に栓をする鍾離。
 ウェンティは彼の側に置かれた急須に手を伸ばし、彼が愛用している深緑色の湯呑みに蒸らされていたそれを注いでやった。
「それじゃ、今年も豊穣であることに感謝して」
「そして来年もまたこうして二人で豊作を楽しめることを願って」
「「乾杯」」
 シャンパングラスと湯呑み、それぞれを掲げ笑い合う二人は一口、飲み物を口に含む。
 味わい深いそれに二人の笑みは深くなり、平穏無事な日々に自然と口元は緩んでしまう。
 お互いがお互いでそれを指摘してまた笑い、ひとしきり笑い合った後はウェンティ渾身の出来のアップルパイに手を伸ばした。
 フォークをきつね色に突き立てれば、バターの層が圧されて崩れる音がする。
 一口大のそれをすくった後、ウェンティは自分の口に運ぶことはせず、隣に据わる鍾離へとそれを差し出した。
「モラクス、あーん」
「ん」
 ウェンティの声に従うように口を空ける鍾離。
 アップルパイを一欠けらそこに放り込んでやれば、いつもより咀嚼する時間が長いように感じた。
 味わっているのかと笑えば、小さく頷いて見せる男はごくりと咽喉を上下させ、呑み込む。
 一番最初の感想は、いかに?
「やはり店で売られていても遜色ないぞ」
「本当?」
「ああ。むしろお前が店を出してもいいぐらいだ」
「だからそれは褒め過ぎだってば!」
 折角の賛辞が嘘に聞こえるでしょ!
 そう言って唇を尖らせて見せるウェンティだが、どうにも口元が緩んでしまって拗ねることはできなかった。
 諦めて笑みを零す少年は自分の分を取り分けながら、これを美味しいといえるのはきっと鍾離だけだと妙な事を口にする。
 嘘偽りなく美味であったアップルパイ。それなのに何故自分だけだというのだろう?
 どういうことかと不思議そうな鍾離。だが、続くウェンティの言葉に頬が緩んだ。
「だってこれ、モラクスへの愛情たっぷりなんだもん」
 なるほど。彼への想いを込めた料理だから他の人が食べても彼のように美味しいとは思わないと言いたいのか。
 まったく、愛らしいのもいい加減にしてもらいたい。
 咳払いでにやけそうになる表情を引き締める鍾離。
 そんな彼のことなどお見通しなのか、ウェンティは自分もアップルパイを食べて「美味しい」と満面の笑みを見せた。
「まったく……。お前には困ったものだな、バルバトス」
「えぇ? なんで?」
「分かっていてやっているんだろう? ……まさか、無自覚か?」
 俺の理性を試してくれるな。
 そう苦笑を漏らす鍾離だが、考えを一周巡らせて本当に自覚なく『誘惑』しているのか? と一抹の不安を覚えた。
 もし無自覚なら、大変だ。この愛らしい存在が他に見つかってしまったかもしれない。急ぎ隠して自分だけが愛でなければ。
 そんなことまで考えていた鍾離の耳に届くのは笑い声と、「そんなわけないでしょ」という悪戯な声。
「モラクスが珍しく『夜まで我慢する』って言うから、その言葉の本気度を試しただけだよ」
「! お前という奴は……」
「怒らないでよ。久しぶりに一日一緒に居られるのにいきなり釘を刺されて淋しかったんだから」
 クスクスと猶も笑いながらアップルパイをもう一口食べようとするウェンティ。
 だが、フォークを口に運ぼうとしたその手を掴まれ強引に向きを変えられアップルパイは鍾離の口の中へと納まった。
「もー! 何するの! 食べたいなら食べたいってそう言ってよ!」
「食べたい」
「遅い!」
 そんな無理矢理しなくてもちゃんと食べさせてあげるから。
 そう苦笑を漏らすウェンティは、もう一口食べる? と鍾離に尋ねた。
 だが、返ってくるのは『アップルパイを食べる』という言葉ではなくて―――。
「俺が食べたいのはお前だ、バルバトス」
「!」
「格好をつけて我慢するつもりだったが、お前もそれを望んでないと分かれば我慢などする必要はないな」
「ちょ、まっ、待って待って! まだアップルパイ残ってるし、お酒も―――」
「あとでベッドに運んでやる」
「わっ! ちょっと! もー! 強引すぎるよ!」
 立ち上がった鍾離は掴んだままのウェンティの腕を引っ張り無理矢理立たせると、そのまま抱き上げ、バルコニーを後にする。
 寝室のベッドに寝かされたウェンティは逃げることも抗うこともせず、しかたないなぁと笑っている。
「ねぇ、窓は閉めてよ?」
「分かっている。お前の声を他者に聞かせてやるつもりはないからな」
「モラクスのエッチ」
「そんな俺も愛しているだろう?」
「それはそうだけど!」
 茶化した言葉に真面目なトーンで返さないでもらいたい。
 途端羞恥を覚えるウェンティが口籠れば、窓とカーテンを閉めた鍾離が戻ってきた。
 ベッドを軋ませウェンティに迫る男の目には余裕など無く、目の前の愛しい存在に対する劣情に満ちていた。
 噛みつくように唇を奪われたウェンティは、口内を愛撫する鍾離の舌に心を蕩けさせる。
 彼に抱きつくように回された腕はもっと傍に来てと鍾離を引き寄せ、何度も何度も口づけを交わした。
 ウェンティの思考が鍾離一色になる直前、少年は蕩ける口づけに今日のキスは林檎の味がすると思ったとか。






[終]




2024-03-10 公開



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