世の中には触れて良いか分からないことが沢山ある。
それはもっぱら他人に関することで、基本的に触れずにスルーすることが正解だ。
だから、どれほど目の前で『触れられる』事待ちな素振りを繰り返されても、俺は絶対に触れることはせず、いつも通りを貫くんだ。
だれのあと?
「へぇ。流石旅人だね。何処に行っても問題を解決しちゃうなんてモンドが誇る栄誉騎士の名は伊達じゃないね」
「そんなことないよ。偶々良い方向に物事が転がってくれただけで、俺が何かしたってわけじゃないしね」
「謙遜するなよ! 旅人は本当にすごいんだぜ! 吟遊野郎もそう思うよな? な?」
「もちろん。君がいなければ今頃それぞれの国がどうなっていたか、想像するだけで恐ろしいよ」
久しぶりに立ち寄ったモンドで出会ったのは、懐かしい顔。風神バルバトス――、吟遊詩人ウェンティに声をかけられたのは鹿狩りで何か食べようとパイモンと話していた時だった。
『久しぶり』と現れたウェンティが旅の話を聞かせて欲しいと言ってきたので、俺達は三人揃って食卓を囲むことにした。
3人で食べるには多すぎるだろう料理を注文して早速とばかりに会わなかった間の出来事を語らされた俺に、ウェンティはうんうんと頷きながら時折笑顔を零し、旅の最中起こった厄介事を労ってくれる。
前々から思っていたことだが、彼はとても聞き上手だと思いながら話を続ける俺。
しかし、どうにも気になることが一つだけあった。それはウェンティの首筋から覗く、歯形の存在だ。
会話の最中に気付いたそれに、何故あんなところに噛み痕が? と疑問が浮かんだのは当然だ。
しかし、彼に何か異変が起こっているのだろうか? と思い至るより先に、歯形ほど分かり易くは無いが鬱血した痕を何個も見つけてしまい、一瞬でも心配したことを後悔した。
(あれって、そういう痕だよなぁ……)
平静を装い旅の話をする俺のポーカーフェイスはなかなかのものだろう。
正直自分が話している内容など記憶に残らないほど、ウェンティの首筋に意識が向いてしまっていた。
(でも意外だ。ウェンティって自由が一番って感じだし恋人とか興味ないって感じなのに)
こんな下世話な事を考えてしまうのは、許してもらいたい。俺だって健康な男なんだから、そう言う事に興味がないわけじゃないんだから。
そんな風にウェンティの首筋に残る『痕』の相手を想像するも、どうにも分からない。
『束縛』を嫌いそうな性格のウェンティが特定の相手を作るのだろうか?
もしかすると、身体だけの関係なのだろうか?
でもそんな相手にウェンティにとって大切だろう『身体』に痕を残すことを許すわけがない気がする。
自分の事じゃないから、答えを知るのはウェンティだけ。こんな風に悶々と考えたところで、正解は得られない。
しかし、目立つ程じゃないにしろ見ればわかる『痕』を隠さないところを見るに、そのことに誰かが触れることを待っているのかもしれない。
ウェンティは悪戯好きだ。
きっと初心な相手が心配して『どうしたの?』と歯形の理由を尋ねてくるのを待っているのだろう。
そしてそんな相手に『夜』の話を分かるようにぼかして喋って相手が羞恥に顔を赤くするところを見たいのかもしれない。
悪戯にしては少々性質が悪いモノだと思いながらも、神様には『人』の常識は通用しないからきっとそうに違いない。
俺は、ウェンティと喋るのは好きだが、揶揄われるのは御免だ。
期待しているウェンティには申し訳ないが、此処はスルーされてもらおう。
首筋の痕に触れるか触れないかどうしようかと迷っていた俺は、自分が出した結論に従い気付かなかったことにする。
逢わない間の旅の内容を話し終えた頃には、テーブルに並んだ料理は殆どが空になっていた。
おなかいっぱいだと腹をさする俺とウェンティ。そして、絶対残さない! とまだ食べているパイモン。
「パイモン、あんまり無理して食べると身体が重くて飛べなくなっちゃうよ」
「うっ、で、でも折角オイラのために作ってもらった料理なのに残すのはヤダぞ!」
「気持ちは分かるけど、美味しく食べてもらえないのも悲しいからね?」
「そうだね。無理矢理口に詰め込むところを見るのは作ってる方も悲しくなるしね」
程々にするよう注意する俺に、ウェンティも苦笑いで援護してくれる。
俺達の声にまだナイフとフォークを握っていたパイモンは唸り声をあげながらも渋々それをテーブルに置き、残してしまう料理に謝っていた。
そんな相棒の姿に俺とウェンティは顔を見合わせ、肩を竦ませ笑いあった。
「仕方ない。余った分を持ち帰って良いかサラに聞いてくるよ」
「! 吟遊野郎! お前、頭良いな!?」
「あはは、ありがとう。パイモン。ちょっと待っててね」
パイモンの雑な誉め言葉に笑いながら席を立つウェンティ。
俺はそれを見送りながら御礼はちゃんと言おうねと相棒に注意した。
パイモンから返ってくるのは気まずそうな返事、ではなく、無言。
「パイモン?」
「旅人、た、大変だぞ」
「? どうしたの?」
ウェンティを目で追っているパイモンの表情は、見る見る青くなってゆく。
一体何があったんだと心配する俺にパイモンは泣きそうな顔で飛びついてきた。
「ちょ、本当にどうしたの?」
「ぎ、吟遊野郎が大変だ!!」
助けてやらないと!!
青い顔でそう喚くパイモン。その声は大きく、良く響いた。
おかげで持ち帰るための容器を貰ってきてくれただろうウェンティにもその叫びが聞こえたようで、「ボクが大変って?」と不思議そうな顔で質問されてしまった。
「さ、さぁ……俺にもさっぱりわからなくて……」
「? パイモン、どうしたの? ボクが大変ってどういうこと?」
困惑する俺にウェンティも状況が理解できていないのだろう。
それでも取り乱しているパイモンを宥める様に優しい声をかけてくるところは、どこか神様然としていた。
「吟遊野郎、お前、誰かに酷い目に遭わされたんだろ!?」
「? えぇ? なんで? 誰にも酷い目に遭わされてなんてないよ?」
半べそをかいてウェンティに尋ねるパイモンに、ウェンティ本人は心当たりが無いと首を傾げて見せる。
その仕草に、僅かに覗いていただけの歯形が服下から姿を現し、はっきりと確認できた。
俺はそれを見てパイモンが取り乱している理由を理解した。
「パイモン、落ち着いて。これは―――」
「だってその首!! 誰かに噛みつかれた痕だろ!?」
本気でウェンティを心配している相棒が悪戯の餌食になるのは忍びない。
だから止めようと思ったのに、一足遅かった。
きっと釣れた魚を嬉々として揶揄ってくるだろう悪戯好きの神様の満面の笑みを想像すると、頭が痛くなる。心配したのに! と怒るパイモンを宥める役も楽じゃないのに。
そう思いながらため息を吐いて肩を落とす俺だけど、待てど暮らせど楽し気な声は聞こえない。
(??)
なんでパイモンを揶揄わないんだろう?
そんな疑問にウェンティを見れば、そこには予想外の姿があって驚いた。
「ウェンティ……? 顔真っ赤だけど、大丈夫……?」
「えっ!? あ! うん! 大丈夫!! 全然大丈夫だよ!?」
顔と言わず首まで真っ赤に染まったウェンティは明らかに動揺しているようだ。
なんでもないと片手を振りながらもう片方の手で首筋を隠すように抑えるウェンティに、俺は「逆だけど……」と歯形がついてるのはそっちじゃないことを伝えた。
慌てて手を入れ替えるウェンティは「そうだ! ボク、用事があったんだ!!」と勢いよく立ち上がると「バイバイ旅人! パイモン! またね!!」と俺達の声を聞かずに立ち去ってしまった。
残された俺とパイモンは、呆然としながら顔を見合わせた。
「た、旅人、吟遊野郎の奴、大丈夫かな……」
「たぶん、大丈夫じゃないかな……」
パイモンはきっと、誰かに酷いことをされただろうウェンティを心配している。
でも俺は、誰かを揶揄うためではなく本気で気づいていなかったのかと、ウェンティの態度に驚いた。
(あの反応からして心当たりがあるんだろうけど、もしかすると本当に恋人なのかも)
あの反応は、ただただ恥ずかしいと言わんばかり。
痕が残っていることに対する戸惑いも怒りも感じられなかった。
俺はあのウェンティの恋人になれるなんて相当出来る相手なのだろうと、まだ見ぬ彼の恋人に感嘆の息を漏らした。
「なぁ、ほんとに、大丈夫か……?」
「んー……、そうだなぁ……、俺も気になるし、今度逢ったらちゃんと聞いてみようか」
「! おう、そうだな!」
それまで無事でいろよ、吟遊野郎!
そう手を合わせているパイモン。
その隣で、次に逢った時は旅の話よりも先にウェンティのコイバナを聞いてやろうと悪巧みさながらに俺は笑った。