完全無欠の岩神にも苦手なものがあった。それは種族体に起因したもので、唯一にして最大の強敵『寒さ』だった。
寒すぎると動けなくなる岩神の話
毎年この時期になると身体が言う事を聞かず苦労すると聞いている。
だから昨日、『明日は今年一番の冷え込みだ』と耳にしたウェンティは、きっと自身の恋人はベッドから出ることができなくなるだろうと予想した。
一応昨晩、心配でそれとなく注意を促したものの本人は問題無いと言って聞く耳を持たず、自身を湯たんぽ代わりに抱きしめると深い眠りに落ちて行った。
いつもは自分の方が早く眠りに落ちるのに珍しい。
そう思ったと同時に、きっと自分が心配した通りの朝を迎えるだろうなと予期したウェンティは、朝一番に胡桃に欠勤を伝えに行かないとと思いながら眠りについた。
そしてウェンティが予想した通りの朝を迎え、それでも動かない身体に鞭打ってベッドから出ようとする恋人を布団に包んで安静を言い渡した彼は今、外出準備を整えまだ完全に目覚めていない璃月港の街を歩いていた。
吐く息は白く、特に冷えを感じる鼻先は赤くなっている事だろう。
手袋をしていても僅かに指先が悴む感覚に、『今年一番』は伊達じゃないと笑みが零れた。
きっと『人』には堪える冷え込みだろうと白い息が溶けて消えるのを眺めるウェンティは、アンドリアスに感謝だと遠い故郷の友人を思い出す。自分が持つ力は、彼の力でもあるからだ。
かつての友の力が無ければ、自分はきっと恋人以上に寒さに弱く、こんな冷え込む日は一日ベッドの中でぬくぬく過ごしていたことだろう。恋人程ではないにしろ、少なくとも今のように服を何枚か重ね着してもこもこの外套を羽織れば堪えられる、なんてことは絶対になかったはずだ。
ウェンティはむしろ寒さが心地よいと鼻歌交じりにまだ静かな璃月港の街並みを駆けてゆく。
やがて辿り着いたのは往生堂。恋人が客卿として勤める其処のドアを開けば、静まり返った薄暗い空間に香が炊かれていた。
「胡桃ー? おはよー、ウェンティだけど、居るかなぁ?」
流石に早く来過ぎたかな?
そんな心配を表情に覗かせるウェンティの声は広々とした空間に良く響く。
そこは暫く静寂を称えていたが、遠くから足音が聞こえて来た。
「はいはいはーい! こんな朝早くからどちら様ですか!?」
奥の扉が開くと同時に賑やかな風が先程まで空間を覆っていた物悲しさを吹き飛ばす。
まるで明かりが灯ったような錯覚を覚えながらも、ウェンティはキラキラと内面を輝かせている女の子に手を振ってみせた。
「あれ? ウェンティさんじゃない。どうかしたの??」
小走りで駆け寄って来る胡桃は服装こそいつも通りだったがその髪は結われておらず、どうやら身支度の途中だったことが伺える。
女の子に申し訳ないことをしたと思う程度のデリカシーを持ち慌てているから早朝の訪問を詫びるウェンティ。
すると胡桃は気にしないでとあっけらかんとして笑い、それよりも本題は? と話題を進めてくれる。
普段の振る舞いがちょっと死後の世界に比重を置きすぎているため誤解されやすいが、彼女は気遣いのできる利発的な才女だ。
恋人が彼女に対して苦手意識を持っていることは知っているが、ウェンティは恋人が倦厭している部分も含めて彼女の魅力だと思う。まぁそれを口に出せば、こうやって彼女と気軽に逢えなくなるだろうから言わないのだが。
「実は鍾離先生が体調を崩しちゃって。それで、今日は休ませたいんだけど、良いかな?」
「おやおや! 鍾離さんが体調崩すとか、珍しいね?? 普段は岩のように頑丈な人なのに!」
「あはは。だよね」
「うーん、そうだなぁ~。急ぎの仕事は無いし、璃月港で急にうちが動くことになるような人も居ないから、大丈夫!」
「良かった。もし人手が足りないから無理って言われたらどうしようって心配してたんだ」
「ヤダなぁ。病人を働かせたりしないってば」
「うん。そうだよね」
「無理さえて拗らせて悪化したら、次はその人を葬送することになるかもしれないじゃない? 仕事増やすようなことはしないよ~」
「あ……、そういう理由……」
いや、確かに胡桃の言っていることは尤もな事だ。しかし、軽い口調は冗談なのか本気なのか判断できないから反応に困る。
空笑いを浮かべるウェンティに胡桃はハッと何かに気付いたように距離を詰めてくると手を取り、
「ごめん、ウェンティさん! 今のはブラックジョーク過ぎたね!?」
話に上がった『病人』が恋人となると、全然笑えないよね!?
そう言って謝ってくる胡桃に、ウェンティは僅かに頬を赤らめながらも「全然平気だよ」と笑ってみせた。
「良かったぁー! これが鍾離さんなら、睨むだけじゃすまなかっただろうね」
きっと鉄拳制裁に違いないとこの場に居ない相手の報復を想像して己の頭を守る胡桃。
ウェンティはそれに笑い、確かに恋人は良くも悪くも平等だからそうかもしれないと頷いた。
「ボクはいつも『女の子には優しく!』って注意してるんだよ?」
「鍾離さんもよっぽどのことがない限り手を挙げたりしないよ?」
「うん? でも、殴られるって今―――」
「『ウェンティさんの病気で悪化して葬送が必要になっちゃうー』なんて、冗談でも絶対怒るよ。うちの客卿は」
なんてったってウェンティさんを超絶溺愛してるから。
ニヤニヤとわらって顔を覗き込んでくる胡桃。
ウェンティはその額をぺちっと叩くと、揶揄わないの! と悪戯っ子を窘めた。
「いたーい! ウェンティさんが打ったー!」
「嘘だ! 痛いわけないでしょ!」
「バレちゃったか! ……まぁ、そういうわけでこっちのことは気にせず1日と言わず1週間ぐらいまとめて休んでもらってよ」
もし急を要する仕事が舞い込んできたら、その時は呼び出しちゃうけど。
そう言って思いがけない長期休暇を言い渡してくる胡桃。
流石にそれは申し訳ないと食い下がるウェンティだが、偶には他の面々に経験を積ませないとダメだからと言って押し切られてしまった。
「ほらほら、早く帰って帰って。鍾離先生のことが心配だ―って顔に書いてるよぉ?」
「書いてるわけないでしょ! もぉ……。絶対、忙しくなったら声かけてよね?」
「勿論! あ! もしいちゃいちゃしてる時に呼び出しても怒らないでね!?」
「胡桃!!」
「あはは。じゃ、お大事に~!」
背中をぐいぐい押して往生堂から締め出す胡桃の捨て台詞には流石に顔を赤くするウェンティ。
だが、非難しようにもドアは閉められてしまって叶わなかった。
(もぉ! 女の子がはしたない!!)
口に出せなかった非難を心の中で叫ぶウェンティは、はぁっと一つ大きなため息を吐くと踵を返し、来た道を戻るように目覚め始めた璃月港の街並みを駆けてゆく。