「ウェンティさんは璃月人じゃないですから、深い意味なんて無いですよね」
「いやぁ、最初貴方を見た時は本当に驚きましたよ。でも、聞けばモンドの人らしいじゃないですか!」
ウェンティがモンドから璃月に移り住んでそろそろ1年が経とうとしたその日、今まで度々耳にしたそれらの不可思議な言葉の真相を知ることになった。
緑の帽子
夕飯の食材を詰めた籠を片手に璃月港の街並みを歩くウェンティは、先程初めて知った璃月独自の風習を思い出し、難しい表情をしていた。
(思い返せば最初から変だったんだ)
不機嫌を隠さないその表情にすれ違う人達はぎょっとして視線を寄こしてくる。
いつもなら声を掛けてくる顔なじみも、言葉を詰まらせ挨拶に掲げた手をおずおずと下げている。
嗚呼、『どんな時も笑顔で明るいモンドの吟遊詩人』として振舞っていた日々の努力も、今日で水の泡となってしまった。
しかし取り繕おうと思っても腹立たしい気持ち半分と申し訳ない気持ち半分に負けて笑うことなどできるわけがないから仕方ない。
歩みに合わせてふわふわと尻尾のようにたなびく新緑のマントはモンド由来のデザインで、顔立ち含め、ウェンティがモンド人であることは言わずとも人々には伝わっているだろう。
だからきっと、今日まで誰もはっきりと教えてくれなかったのだ。モンドにはモンドの、璃月には璃月の、その国独自の習慣や風習があるとみんな知っているから。
だがしかし、知ってしまったからには今まで通りにはいかない。自分がいくらモンド出身だと言おうとも、人々が自分を―――いや、恋人を見る目が一瞬でも邪なものになることが堪えられないから。
自らの意思で璃月に移り住むことを決め、離れた自国。それでもモンドを愛する心は変わることは無く、無理に他国に馴染む必要は無いと言ってくれた恋人の言葉を素直に受け取ってここ璃月港でもモンドの装いをしていたウェンティ。まさかそれが恋人を一瞬でも笑い者にしていたかもしれないなんて、夢にも思わなかったのだ。
ウェンティの心は腹立たしさと申し訳なさとが同居して忙しない。どうして教えてくれなかったんだ! と恋人を責める思いと、恥ずかしい思いをさせてごめんなさい……。という気持ちがせめぎ合って表情は不機嫌だったり悲しげだったりころころ変わっていた。
「やぁやぁ! 其処に居るのはウェンティさんじゃないかな!?」
人々が避けて道を作るほど様子がおかしいウェンティにいつも通り声を掛けてきたのは往生堂の堂主、胡桃だった。
物怖じしない彼女に周囲の人々はギョッとした表情を見せていたが、当の本人はそんなもの、気にも留めていないようだった。
軽快な足取りでウェンティの前で立ち止まる胡桃。
行く手を阻まれたウェンティもつられて立ち止まり、眉間に皺を作りながら「やぁ、胡桃。元気かい?」と不機嫌な音ていつも通りの言葉を紡いだ。
「んん? なにやらご機嫌斜めだねぇ? どうかしたのかな? 誰かにいじめられたのかな?」
顔を覗き込んでくる胡桃は、もしいじめられたと言うのなら、うちの客卿に懲らしめてもらうよ? とにやりと笑った。
自分が言わなくともそうなるだろうけど! なんて茶化す言葉を続ける彼女にウェンティは表情をますます不機嫌なものに変えた。
今往生堂の客卿の―――自身の恋人のことを考えれば、どうしたって理不尽な怒りが沸いてしまう。いや、彼はむしろ被害者なのだが、自分の知り得ないところで加害者になっていたのだからウェンティが機嫌を損ねてしまうのも当然だった。
いつもなら、慌てるか照れるか困るかのいずれかの反応を見せるウェンティが不機嫌な面持ちを通すことに胡桃は『あれ?』と首を傾げた。これはもしかしなくとも、拗れているのだろうか? と。
鍾離とウェンティが往来で軽口を言い合うことは珍しくない。むしろ璃月港の新名物になりつつある光景だ。
そんな二人が本当はとても仲睦まじく、お互いを想い合っている事は既に周知の事実。名前を聞いてこんな不機嫌な姿を見せることなど、本来ありえないはずなのだが、胡桃の目の前には鍾離の名前を聞いた瞬間眉間の皺を深くしたウェンティがいるから何があったのかと好奇心が顔を出してしまう。
「どうしたのかな? 鍾離さんと喧嘩でもした?」
「喧嘩なんてしてないよ」
「えぇ? 鍾離さんのこと考えてそんな顔してるのに??」
見てごらんよ。とポケットから手鏡を出す胡桃はその鏡面をウェンティの眼前に突き出した。
鏡の中に映る自分と目が合ったウェンティは、まさに鬼の形相だと自分の表情に今度は悲壮感を漂わせた。