TREMOLO [ANNEX]

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風神が悪夢を見る話



 ボクは滅多に夢を見ない。それがボクの生まれ故なのかどうかは分からないが、『人』がおおよそ毎夜見るそれを、ボクは殆ど見ることがない。
 モンドの酒場では夢の話を語り盛り上がる人々も多く居て、その話を聞く度、楽しく幸せなそれもあるのかと羨望を覚えたものだ。だってボクが見る夢は決して『幸せ』でもなければ『楽しい』ものでもないから。
 ボクが見る夢は、『悪夢』と呼ばれもの。決して変えることのできない過去が、眠るボクを掴まえようと追いかけてくる。血塗られた手は空に向かって伸ばされ、それを掴む手を持たないボクは今にも息絶えそうな友の名を呼び続ける。やがて空を掴まんとしていた手はだらんと瓦礫の上に落ち、もう動くことのない友の亡骸にボクは縋ることもできずただただ彼を呼んで叫び続ける。これがボクの見る夢―――ボクの過去だ。
 友の命日が近づくにつれボクの夢は始まり、その日が過ぎればまた見なくなる。毎年、毎年、繰り返し。乗り越えたはずの過去に掴まることを恐れるボクは夢を見ぬよう酒を呑み、悲しみから逃げ続けていた。何年も、何十年も、何百年も。
 きっとこの先もずっとこの夢は見るのだろう。半ばそう諦めていたボクを救ってくれたのは、七神の一人、岩神モラクス。彼と恋仲になってから程なく、気付いたのだ。彼の腕に抱かれ眠る夜は、夢を見ない。と。
 たとえ友の命日が近づこうとも、まさにその日だとしても、夢を見ることなく朝を迎えることができる。それは友の死を繰り返す覚悟していたボクにとってまさに青天の霹靂であり、救いだった。
 友の死を悔恨することは今でもある。でも、己の無力さに涙し目覚めることはもう無い。魘され飛び起きていた夜は来なくなり、変わりに、ボクを優しく抱きしめて眠る恋人の寝顔と共に迎える朝が来るようになった。
 いつだって弱いボクを守ってくれる人は、ボクの心までも守ってくれる。かけがえのない人はボクに寄り添い、ボクがボクで在れるよう支えてくれている。ボクが知らないところでも、ずっと。

*

「え? 胡桃が倒れた?」
 いつもよりも帰りが遅かったモラクスに何気なくその理由を尋ねれば、往生堂の堂主である胡桃が倒れたと聞かされ思わず鸚鵡返しをしてしまう。
 無駄に元気な印象が強い彼女が倒れるなんて何があったんだと心配するボク。そんなボクにモラクスは難しい顔をして経緯を話してくれた。
「ああ。朝から体調が優れないとは言っていたんだが、それでも仕事が立て込んでるからと休まず働いた結果、夕刻を前に力尽きたようだ」
「えぇ……、それ、大丈夫なの? 仕事、他の人に振れなかったの? モラクスなら代わりにできるでしょ?」
「そうだな……。おそらく俺なら代わることはできるだろうが……」
「? 代わってあげられるなら代わってあげなよ。そもそも病人を働かせるなんてモラクスらしくないよ」
 朝から体調が悪いと知っていながらどうして無理をさせたんだと眉を顰めるボク。だってボクの知ってるモラクスは民のことを第一に考える優しい神様なんだから。
 胡桃の体調を鑑みなかったのかと尋ねればモラクスの眉間には皺が寄り、何やら深刻な面持ちだ。何か不味いことを聞いてしまったのだろうかと心配になってしまう。
「そうだな。いつもなら、体調が悪いと分かった時点で代わりを申し出ただろうな」
「だよね。今回は何か違ったの?」
 続きを促すように理由を再度尋ねれば、モラクスの表情は更に険しくなる。その表情に、本当にどうしちゃったんだろうと不安を覚えるボク。理由を口にしたくない『何か』があることは分かったけど、モラクスが言葉に詰まるほどのことならよっぽどのことなのだろう。
(ボクが何か手伝えればいいんだけど……)
 きっとボクにはモラクスの抱える『何か』を解決することはできない。ボクに解決できることであれば、モラクスはこんな風に口籠らずに話してくれるはずだから。だから話してもらえないということはこの『何か』に関してはボクは役立たずということだ。
 自分がモラクスの役に立てないと分かっているから気軽に『話して』とも言えないことがもどかしい。
「今回堂主は軽策荘に出向く予定だったんだ」
「うん」
「もし代わりを名乗り出れば、俺は其処に向かうことになる」
「そうだね」
「同じ璃月と言えど軽策荘はモンドにほど近い。しかも現地で葬送を行うことになるからいつ戻れるかも分からない」
「! ああ、そっか……。ボクのせいか」
 言い辛そうに胡桃を鑑みれなかった理由を話すモラクス。ボクは彼が抱える『何か』が自分に起因しているものだと理解し苦笑することしかできなかった。
(もうすぐ彼の命日だからか……)
 昔、この時期は必ず見ていた夢を最近は見ていない。いつもモラクスがボクを抱いて眠るから。
 夢の話はしたことはない。でもモラクスはこの時期になるとできる限りボクの傍に居ようとしてくれる。本当は夢のことに気づいているのでは? なんて疑ってそれとなく理由を聞けば返って来たのは深い愛情で、当時は照れ隠しで悪態を吐いてしまったっけ。

――― 俺が知らぬところでお前が苦しむことが堪えられないだけだ。

 力強い腕で抱きしめ傍に居る理由を告げられ、友を亡くした悲しみは理解できるからとボクに寄り添ってくれた。別離とはどれほど月日が経とうとも気持ちを沈ませるから。と。
 だから毎年優しすぎる恋人はボクの傍に居てくれる。ボクが苦しむのならその苦しみを分かちたいと言って。
 今年ももちろんそのつもりだっただろうモラクスは、ボクの傍に居るために胡桃が体調を崩しているにもかかわらず代行を申し出ることができなかった。
 嗚呼まったく、なんてことだろう。ボクはいつの間にかこんなにもモラクスの優しさに甘えてしまっていたなんて。
 大切な民を蔑ろにしてしまったと己を責めているに違いない恋人の罪悪感が痛い程伝わってきて、ボクは申し訳なくてなんと言えばいいか分からず視線を下げた。
 すると、次の瞬間ボクを包むのは大好きな香の匂い。どうやらモラクスに抱きしめられたようだ。
「お前のせいではないと何度言えばわかる」
「そうだけど……」
「そもそもお前が申し訳ないなどと思うこと自体が間違いだ。俺は、俺自身のためにお前の傍に居たいだけだ。お前のどんな些細な表情すら見逃したくないからな」
 頬を包み込む大きな手は、上を向くよう促してくる。それに逆らえずに従えば、優しい笑みを浮かべたモラクスにキスされた。
 触れるだけのキスはちゅっと音を立てて離れ、かと思えば二度、三度啄まれ、また吸い付く様に唇が合わさる。
「お前の傍に居るためなら、俺はなんだってする。それをちゃんと覚えておけ」
「分かってる。分かってるよ……。でも、ボクのせいで困る人がいるのはやっぱり嫌だよ」
「お前はそういうヤツだよ、バルバトス。だから言い辛かった」
「ご、ごめん……」
「謝るな。お前は何も悪くない。悪いのはお前を離せない俺の方だ」
 ほんの数刻ですら離れ難いのに何日も離れるなど気が狂う。
 そう困ったように笑うモラクスは、「お前を連れて行きたい」と額を合わせてくる。
 できることなら、ボクもついて行きたい。そうすればボクは夢に掴まることもないし、モラクスも困っている人を助けられる。
 けど、それはどうしてもできなくて……。
「公演をドタキャンなんてしたら、璃月に居られないよ」
「分かっている。だから困っているんだ」
 雲菫がわざわざボク単独のライアーの演奏会なるものをプロデュースしてくれたのにその公演を今更止めるなんて言えるわけがない。モラクスも大きなため息を吐いていて、判断を誤ったとか言ってるし。
 この時期ボクが多少なりとも物憂げになることを知っているモラクスは、ボクの気が紛れる様にと雲菫に口添えしてくれたらしい。秘密とは言われなかったと言いながら教えてくれた雲菫の楽し気な笑顔を思い出すと、なおさら『公演キャンセル』なんて言えないというものだ。
「こんなのことになるなら、わざわざこの時期に公演の予定を組んでもらわなかった」
「仕方ないでしょ? 体調不良なんて予測できるものじゃないんだから」
「……堂主には後日じっくりと反省してもらうことにしよう」
「こらこら。璃月の神様が物騒なこと言わないでよ」
「『元』だから問題ない」
「問題ないわけないでしょ」
 たとえ『元』と言えど神様だった存在が色恋に惑わされるのはいかがなものか。
 苦笑交じりにそう注意すれば、モラクスから返って来たのは「色恋ではなくお前に惑わされているだけだ」なんて意地悪な笑みだった。





2023-08-17 公開



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