(え……? な、なんで……?)
夢から目覚めた時、ボクはまだ夢の中に居るのかと錯覚を覚えた。
何故なら、ベッドでモラクスの上着を頭から被って寝落ちていたはずなのに、今ボクの身体を覆っているのは薄手の毛布と、恋人の―――モラクスの身体だったからだ。ボクを包み込むように抱きしめている恋人が起きているかどうかは分からない。だってボクの視界にはモラクスの胸元しか映っていないから。
とりあえず今抱きしめられている事だけは何とか理解できた。でも、『何故?』という疑問は消えない。だってモラクスは胡桃の代役で軽策荘に居るはずだから。
少なくともボクの公演が開始するまでは帰ってくることは無いだろうと思っていただけにどうしても現実だとは思えず、ついつい『随分リアルな夢だな』と考えることを放棄するような結論が頭を過る。しかし、夢では感じることのない他者の温もりと匂いが、今此処に居るモラクスは自分の願望が見せる夢ではなく紛れもない現実だと教えてくる。
(もしかして、ボク、やっちゃった……?)
今此処に居るべきではない存在は正真正銘、今此処に居る。それを受け入れたボクの頭に過るのは、1日だけと思っていた休息が実は既に何日も経過した後だったというある種の絶望だ。断りなく何日も練習をサボった挙句、公演そのものまですっぽかしてしまったとあってはどんな言い訳を並べようとも雲菫はもちろん、楽しみにしてくれていた人達の怒りは治まらないだろう。
やってしまったと焦るボクは、急ぎ雲菫に連絡を取って誠心誠意謝罪しないとと気持ちだけが逸る。
とりあえず起きないと……、とボクは身じろぐ。すると頭上から「起きたか?」と耳に馴染んだ声がした。
この声が聞けなかったのは、たった数日。それなのに胸がぎゅっと苦しくなったのは、何故だろう?
「も、モラクス、あの、おかえり……」
胸に埋めていた顔を上げれば、何処か心配そうな表情の恋人が目に入った。
おずおずと言葉を紡げば、抱きしめる腕を解いたモラクスはボクの頬に手を添えてくる。目尻をなぞるように親指の腹で撫でられ、そんな場合ではないと思いながらも安堵の息が零れた。
「一人にしてすまない。雲先生から不眠だと聞いて慌てたが、少しは眠れたようで安心した」
「あ、あの、雲菫、怒ってなかった? ボク、連絡せずに練習すっぽかして公演まで……」
「? 雲先生が帰って休むよう指示をしたと聞いているが、違うのか?」
「雲菫が『帰って休め』って言ったのは、えっと、モラクスが璃月を出発して2日目のことで、それ以降は連絡入れてなくて……」
言葉にすることで自分のしでかした事の重大を再認識してしまう。
本当にどうしよう……と頭を抱えるボクに、モラクスから返されるのは「寝惚けているのか?」というなんともひどい言葉だった。慰めろとは言わないけれど、せめてもう少し思いやりのある言葉をかけてもらいたいと思うのは我侭なのだろうか。
「寝惚けているならどんなに良いか」
「なら、勘違いをしているのか」
「『勘違い』って何さ」
「いや。お前はあれからもう何日も経っていると思っているのかと理解しただけだ」
モラクスが見せるのは苦笑い。ボクは彼の言葉に目を瞬かせてしまった。
「もしかして、まだ2日目?」
「つい先刻日付は変わったから、正しくは3日目、だな」
嘘だよね? と言いたい気持ちをぐっと堪えて確認すれば、質問には否定ではなく肯定が返って来た。
モラクスが璃月港を出発してまだ2日―――正確には3日しか経っていないなんて、今度は別の意味で驚いてしまう。
「な、なんで? 出発して2日なんて、まだ軽策荘にも到着してないはずでしょ?」
「ああ。人の足では精々望舒旅館に到着するかしないかだろうな」
「『人の足では』って、まさか力を使ったの?」
『人』として生きると決めた時、有事以外では力を使わないと決めたはずだ。それは確かにモラクスが自分自身と結んだ『契約』だから、守るも破るも己次第ということは理解している。でも、何よりも契約を重んじる神様が率先してそれを破るなんて、明日にでもテイワットは滅びてしまうのだろうかとボクが驚愕するのは当然だろう。
「少し違う。俺は『璃月が脅威に晒された場合を除き力を使わない』と契約を結んだんだ」
「大体の意味は一緒じゃないか」
「まったく違う。『有事以外』であれば、俺は力を使う事ができた」
「なんで?」
「恋人が問題を抱え苦しんでいる時は十分有事だろう?」
だからまったく違う。自信満々に言い切るモラクスは「だから旧友に少し助力を求めた」と真相を教えてくれた。
モラクスの口から出た『旧友』という言葉に、おそらくここ璃月に住まう仙人の誰かなのだろうということは予測がついた。いや、正直に言えば『誰に頼ったか』まで予測できたが、それが事実だとすれば色々恥ずかしすぎるから明確にはしないでおこう。
「つまり、『力を使ったのは自分じゃないからセーフ』ってこと?」
「ああ、そういうことだ」
無茶苦茶な言い訳だと呆れてしまう。でも、それだけボクのことを心配してくれたという気持ちは嬉しかったりもするから何も言えなかった。
ボクは今一度モラクスの胸に顔を埋め、ほうっと安堵の息を吐いた。
「ボクは公演をすっぽかしてないし、練習もサボってないってことでいいんだよね?」
「ああ。大丈夫だ。……だから安心して眠れ」
身体を包み込むよう優しく抱きしめてくれるモラクスは眠りを誘うようにボクの背中を一定のリズムで叩いた。まるで赤子を寝かしつける手つきだと思わなくもないが、恋人の腕の中は安心できる故直ぐに眠気を催したため不満の言葉が出ることは無い。
(モラクスが帰って来たのは、きっとあの時だろうな……)
『過去』と異なる夢が見せたのはボクの願望であり、誰よりもボクを愛し守ろうとしてくれる神様の『心』だったのだろう。
モラクスは『過去』に追われるボクを、その『罪悪感』から守るようにただ優しく抱きしめてくれていた。