TREMOLO [ANNEX]

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風神が悪夢を見る話



 夢見は悪くとも、一応睡眠取れたから昨日よりは幾分マシだろう。そう高を括って公演のリハーサルに向かったもののボクを見るや否や雲菫は顔を曇らせ帰って休めと言ってきた。公演まで時間がないことをは雲菫も分かっているはずなのにどうして追い返されるのかと訝しんだボクに、彼女は頭を抱えながら「ご自身が今どんな顔をしているか鏡で確認してください」とため息を吐いた。
 昨日よりもずっと酷い顔をしていると言った雲菫は公演の延期も視野に入れた方が良いかもしれないと考え込んで、それは流石に大袈裟だとボクは慌てた。でもそんなボクに雲菫はお客様に最高のパフォーマンスを楽しんでもらえないのであればお金を払ってもらう価値など無いと切り捨てた。演者として妥協は許さないといった彼女の姿勢にボクが取れる行動は最高のパフォーマンスを魅せる為に体調を万全にして公演に挑むことだけだろう。
 今日は大人しく帰って休むと頭を下げるボクに、雲菫は安眠効果の高い香を分けてくれた。
 何としても明日には体調を戻さなければ。そんなプレッシャーを自分に科して帰宅したわけだが、ベッドに寝転んで天井を仰ぐボクは眠ることへの恐怖に神経が高ぶってしまいどうにも休めそうもなかった。
 リラックス効果があると聞いた香を焚いても、眠気は訪れない。昨日はすぐに眠ることができたのにと寝返りを打てば、今此処に居ない恋人の匂いが鼻腔を擽った。
(きっとお香よりもボクにはこっちの方がリラックス効果がある気がする)
 空間を満たす香りが嫌いなわけではない。むしろ好きな匂いだ。でも、この香りでは安らぎは得られない。
 ボクは勢いよく体を起こすとそのままベッドを降り、モラクスの着替えを衣装箪笥から引っ張り出した。
 大人と子供ほどある体格差のせいでモラクスの上着に袖を通すも手は出てこない上、裾が引き摺られている。サイズ違いも甚だしいが、今はむしろこれでいいとボクはそのままベッドにダイブした。
 息を吸い込めば安らぎに満たされる。昨日と同じく、微睡はすぐにやってきた。だが、うとうとしながらも眠りに落ちることはできなくて、休みたい肉体と覚醒したままの脳のギャップに随分苦しめられた。
 何故眠れないのか。
 何度も何度も寝返りを打つボクは、答えが分かりきっている問いを己に投げかける。
(またあの夢を見ると思うと、どうしても眠るのが怖いと思っちゃうよ……)
 何度も何度も繰り返される『過去』は、何度見ようとも慣れることは無い。『友』が息絶える瞬間も、己の決断への疑念も、もう数えきれないほど繰り返しているのに。
「いい加減飽きてよね」
 自分自身に対する愚痴が思わず声に出て、驚いた。いよいよ自分の行動を制御できないほど思考力が鈍ってしまったのか。と。
 このままでは明日は今日よりも更に悪化しかねない。体調管理ができずに公演の延期なんて事態は絶対にあってはならないと己に言い聞かせるボクは頭からモラクスの上着を被り、恋人の匂いが充満する暗く小さな空間でぎゅっと目を閉じた。
 眠れ。と何度も己に命令する自分と、眠るのが怖い。と怯える自分とがせめぎ合っている感覚は決して気持ちの良いものではなかったが、それでもやはり休息を必要とする『人』の身体は優秀だ。気が付けば意識が途切れ途切れになっていたから。
(ねむ、たくない……、もう、わかった、から……、ボク、が、……ボクが、まちがって―――……)
 無意識に覚醒しようと反応する思考は、これから見る夢を恐れていた。しかし、自分の叫び声で目覚め、夢か現実か分からず嗚咽を漏らし泣く目覚めが待っていると分かっていれば仕方の無い事だろう。
 眠りたくないと抗うボクは既に魘されている状態に近く、やがて混濁する思考は黒く塗りつぶされボクは眠りに落ちてゆく。
 目を開けるより先に聞こえる雄叫びに、また過去が始まった。
 命を落としてゆく仲間の亡骸も、血塗れで息を引き取る『友』の姿も、これまで飽きる程見てきたと理解している。けど、それなのにボクの心はまるで当時に戻ったかのように痛み、『人』と同じように苦しんだ。
 決して変えることのできない過去は今夜もまたボクの目の前で―――いや、頭の中で繰り返され、ボクはその場に蹲って悔恨に目と耳を塞いだ。
 後何度、この苦しみを味わえばいいのだろう?
 人は『明けない夜は無い』と言うが、『夜』は繰り返し訪れる。つまり、この苦しみと絶望からは決して逃れられないということだろうか……?

――― 君はとてもやさしい神様だから大丈夫。もう自分を許してあげてもいいんじゃないかな?

 早く夜明けが来ることを、目覚めることを切望していたボクの耳に届くのは、『過去』とは異なる声。声の主が『彼』だということは分かるのだが、『過去』では既に息を引き取ったはずなのにどうして声が聞こえるのだろう?
 理解できない状況に恐る恐る顔を上げるボク。目の前には繰り返し見た『最期の姿』ではなく、ボクに『自由』への憧れを語っていた頃の『彼』がいた。

――― 君がボク達を『自由』に導いてくれたから、モンドには今自由な風が吹いている。それを忘れないで。

 ボクが驚きと困惑に声を出せずにいると、『彼』は次からは眠る前にそれを思い出すと良いと穏やかに微笑み、そしてその姿を風に変えてゆく。
 思わずその名を呼ぼうとしたが声は出ず、『待って!』と風に溶ける姿に手を伸ばすもそれは空を切るだけだった。

――― 君は昔も今も変わらずボク達の道しるべだからね。

 残されたのはそんな声と穏やかな風。気が付けば曇天に隠された空と荒廃した大地ではなく、晴れ渡る空と木々が生い茂る緑あふれる大地が目の前に。
(どうして……?)
 『彼』の命日が過ぎるまで、『過去』は続くはずだった。それなのに何故今『過去』が終わったのだろう?
 どれ程考えても、答えは見つからない。
 呆然と立ち尽くすボクは、『彼』の言葉は己の願望なのだろうかと澄み切った空を仰いだ。



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2023-09-02 公開



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