てっきり何処か店に入って呑むのだろうと思っていたウェンティの予想は大きく外れ、連れて来られたのは住宅街に佇む一軒家だった。
明らかに民家と思われる其処で足を止める鍾離に、腕を掴まれていたウェンティも遅れて立ち止まる。
彼は腕を掴んだまま民家の玄関扉を開け、中に入ってゆく。勿論、ウェンティもそれについて家屋に入ることになった。
(此処って、もしかして……)
しんと静まり返った家の中。鍾離は迷うことなく居間へと歩いて行った。
広々とした空間には生活感はあまりないものの、それでも誰かが其処に住んでいるだろうことは分かった。そして此処に住んでいるのが『誰か』ではなく、鍾離であるという事も。
自分の身に起こっていることがあまりにも想定外で、困惑するウェンティ。
呼び止められたことも、酒を呑もうと誘われたことも、絶対にありえないと思っていたが、まさか家に招かれるとはいよいよ自分の正気を疑わざるを得ない。
夢でも幻でも妄想でもないことは先程確認したばかりだが、それでも今一度これが現実なのか確かめるため自由が利く手で己の頬を思い切り抓ってみる。
すると、あまりの痛みに「いたっ」と我慢できずに声が漏れてしまった。
「! すまない」
自分の間抜けな行動に頬を擦るウェンティの耳に届くのは、鍾離の困惑したような声。
何故彼が謝るのかと不思議に思っていれば、離される腕。どうやら先の悲鳴が掴まれた腕が『痛い』と訴えたものだと誤解されたようだ。
ウェンティは慌てて「ごめん、今のは腕が痛かったわけじゃなくて―――」と彼が謝ることは何も無いと弁解するため口を開いた。
だが、眉間に皺を作ったままの鍾離の顔を見れば、声が喉につっかえて止まってしまう。何故彼はこんな不機嫌な顔をしているのか分からなくて。
思わず視線を下げてしまうウェンティ。すると視界に入ってきたのは大きな掌で、それが鍾離のモノだと認識するよりも先に頬を潰すように鷲掴まれ、無理矢理顔を挙げさせられた。
「腕が痛んだわけじゃないなら、先の声は何だ」
「も、もりゃくしゅ、しゃべりじゅらいよ」
頬を潰したまま凄んでくる鍾離。どうやら何故突然『痛い』と声を上げたのか理由を教えろと言われているようだ。
だが、手を退けてくれないと説明しようにも思うように喋れない。ウェンティは手を放してと訴えるように彼の腕をぺちぺちと叩いた。
力を入れて叩いたわけではないから、痛みなど皆無に決まっている。それなのに鍾離の眉間の皺は深まり、なんで? とウェンティの頭には疑問符が大量発生してしまう。
困惑は瞳に現れ、鍾離を見つめる眼差しは戸惑いを彼に伝える。すると鍾離は小さく舌打ちして手を離した。
(えぇ……、本当、何……?)
今のやり取りで舌打ちされるような失態は無かったはずなのにどうして?
訳が分からないと流石に眉を顰めるウェンティ。すると鍾離はそんなウェンティを余所に、先の悲鳴の理由を再度問いただしてきた。
何が何だか全く理解できないが、とりあえず彼と意思疎通をするために鍾離の質問に応えることにするウェンティ。
なんとも情けない――いや、恥ずかしい理由だが、はぐらかしてはいけないことだけは分かっていたから正直に話した。家に招かれると思っていなかったから本当に現実の出来事か確かめるために頬を思い切り抓っただけだ。と。
「自分で抓っておいて何故あんな声が出る」
「その『バカなのか?』って顔止めてよ! 仕方ないでしょ。夢だと思ったから本当思い切り抓っちゃったんだから! そしたら夢じゃなくて凄く痛かったの!!」
不機嫌に呆れ顔を乗せて見下ろされてはウェンティだって気分が悪い。
好きだから何でも許すと思わないでよね!? と内心彼の横暴さに噛み付くも、反論に驚きながらも笑う彼にときめいてしまうから自分自身にも腹が立った。