TREMOLO [ANNEX]

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君の知らない物語



 鍾離からは肯定の言葉も否定の言葉も返されなかった。
 だがその表情は限りなく肯定的で、どうしたって嬉しくて飛び上がりそうになってしまうウェンティ。
 気を抜けば羽が飛び出そうだと必死に平静を装い、「えっと、ごめん、ね?」とへらっと笑ってみせれば、鍾離の眉間の皺はこれ以上ない程深くなっていた。
「ご、ごめんなさい……」
 笑顔は引き攣り、やがて笑うことができずに下を向くウェンティは、小さな声で謝った。
 頭上からするのは「何に対する謝罪だ」という圧の強い声。
 そんなに苛めなくてももう十分反省したのに……。そんなことを考えながらも、先の謝罪は心配をかけた事に対してであり、また目覚めてから今まで顔を見せに来なかった不義理に対するものであることを伝えた。
「次同じことがあれば、分かっているな?」
 謝罪を受け取ってくれただろう鍾離の声からは怒気は感じ取れない。だが圧はまだ感じるから、ウェンティはこくこくと頷きを返した。
 もし次同じような不義理を働けば、今度こそ彼は自分を許してはくれないだろう。
 そうなれば、次こそ縁を切られる事は必至。ウェンティは、もう同じことは無いと信じたいが、それでも起こってしまったらまず鍾離に会いに行くぞと心に決めた。
 だが、そんなことを考えているウェンティの耳に届いたのは、想像よりもずっと優しい言葉だった。
「次は諭すことなく身体に叩きこんでやるから精々気を付けろ」
 鍾離が見せるのは、拳骨。どうやら彼の制裁とは、『殴って分からせる』事になるらしい。
 てっきりもう二度と関わるなと言われると思っていたウェンティは、思わずぽかんと口を開いて間抜けな顔を晒してしまう。
 鍾離はそれを訝しむように顔を顰め、「聞いているのか?」と顔を突き合わせてきた。
「! き、聞いてる! 聞いてる聞いてる!!」
 いまだかつてない程近くなった距離に、我に返ったウェンティは両手を突き出し後ずさって距離を取る。
 自分の顔が真っ赤になっていないことを切に願いながらも、心の中で悪態を吐いてしまうのは自分の想いを知らない朴念仁のせいだ。
(もぉー! 本当止めてよ!! ただでさえその顔に弱いのに、何の心構えもなくドアップなんて心臓に悪すぎるじゃない!!)
 ドキドキと煩い心臓に、この鼓動が彼に伝わらないかが心配だ。
 だが、ウェンティの態度に鍾離は顰め面のままもとの体勢に戻っているから、どうやら無用の心配だったようだ。
「理解したなら、それでいい」
「うん……、ごめんね。ありがとう、モラクス」
 踵を返す鍾離にウェンティは力なく笑うと、自分はこの後どうすればいいのかと手をこまねいた。
 鍾離は酒よりも茶を好むと知っているから、酒の席に誘われたのはきっとこの話をするための方便だろうと理解できた。
 そして目的の話はたった今終わったのだから早々に立ち去るべきだという事も理解している。
 だが、どうしても後ろ髪惹かれてしまって『帰るね』の一言が口から出てくれない。
(お茶でもいいから、もう少し居ちゃダメかな……?)
 積もる話は沢山ある。なんせ五〇〇年以上逢っていないのだから。
 鍾離が許してくれるのなら酒だって我慢できる。だからもう少し彼と言葉を交わしたいと思ってしまうのはウェンティの我侭だろうか。



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2023-12-03 公開



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