――― モラクス、お前を永劫恨み呪ってやる
摩耗により正気を失った友を地底に封印した際、彼が遺言とばかりに残した言葉には魂は籠っていなかった。
だが、それでもモラクスの心の奥底にそれは刺さり、そこから自分の何かが腐っていくような感覚を覚えた。
岩王帝君と敬愛される璃月の神に君臨する岩の魔神は続いた戦いに暫しの休息をとると言葉を残し、彼の地から姿を消した。
『人』の中には神の行く先を知る者はおらず、おそらく知っているだろう仙人達も彼に寄り添う術を持たず、ただ彼の人が安寧を取り戻し戻ってくることを待つしかできないでいた。
*
永い時を生きる岩神モラクスにとって、己の友を屠ることは今回が初めてではなかった。
しかし、摩耗により徐々に正気を失っていった様を見たのはこれが初めてだった。
モラクスは晴れ渡る偽りの空の下、拵えた邸宅の窓辺に腰を下ろし、己しか存在しない空間を眺めていた。
降り注ぐ陽の光も、頬を撫でる柔らかな風も、命を育む草木や獣も、全ては虚構に過ぎないのだが、それでも疲弊した心を休めるには十分な景色だ。
モラクスは自身が仙力を用いて作った洞天と呼ぶ箱庭で友が最期に残した毒を浄化するのにどれほどの時間を要するだろうかと、自国へ想いを馳せた。
目下の脅威は排除したが、それでも平穏はまた直ぐに揺らぐことになるだろう。
そうなる前にこの『毒』を取り除かなければ、自分に待つのは友と同じ道かもしれない。
かつての友と屠った友は違い過ぎていて、摩耗の恐ろしさをまざまざと見せつけられた。
モラクスは思い出すことのできる友の姿が、かつてのモノではなく狂気に満ちた姿である事に精悍な顔を歪め、目を閉じた。
(俺もいずれ、あのように『己』を忘れるのか……? 守ると決めたモノに牙を剥き、永劫の友のことも忘れて全てを破壊する存在に俺もいつか堕ちてしまうのか……?)
摩耗とは恐ろしいものだと知っていたが、改めてそれがどれ程残酷なものかを思い知った。
目を開けたモラクスが見つめるのは、箱庭の風景ではなく、己の掌。
人々の命を守るためにあるこの手は、いつか彼らの血で染まってしまうのだろうか……?
もしもそんな未来がいつか訪れるというのなら、その前に自分はこの生に終止符を打つべきだろう。
だがそれは摩耗が始まっては叶わない。己の思考が侵食される前に―――摩耗が始まる前に、実行に移すべきことだ。
モラクスは『人』の形をした己の肉体を確かめるように胸元に手を添える。
僅かに感じる脈動は、己が生きているという証だ。
(今此処でコレを止めれば、俺は『人』を傷つけることなく逝けるだろうか……)
ぼんやりと考えるのは、己の命の終焉。
摩耗により自分が自分でなくなってしまう前に、『化け物』と人々から恐れられる前に、人々に愛された『岩王帝君』として永い生の幕引きをした方が良いのではないだろうか?
そんなことを考えながらも、胸に添えた掌はそれ以上動くことは無い。
モラクスは、こんなにも永い時を生きても猶生にしがみ付くのかと己の強欲さに自嘲を漏らした。
(若陀よ、俺もいずれお前の後を追うことになりそうだ……)
かつての友の姿を思い出すことができない。
もしかすると、摩耗はもう始まっているのかもしれない……。
モラクスは己が地底に封じ込めた友に、直に逢うことになりそうだと箱庭の空を仰いだ。