「魈」
「! は、はい。なんでしょうか、教授」
「俺が発端とはいえ、アレの名を軽々しく口にするのは控えてはくれないか?」
鍾離の言葉に分かりやすく顔を青褪める魈は、申し訳ありません! と勢いよく頭を下げた。
身体を半分に折り曲げる勢いの謝罪に鍾離は苦笑を漏らし、そもそもウェンティが『バルバトス』であることを暴露したのは自分なのだからそう畏まるなと顔を上げるよう促した。
おずおずと顔をあげる魈に鍾離は苦笑を濃くし、その隣で魈以上に真っ青な顔をしている甘雨に目をやると、彼女にも同じ言葉を掛けてやる。
二人の様子に少々意地悪が過ぎたと改めて反省する鍾離は、研究室の壁にかけられた時計へと視線を巡らせた。
今日はこの後学生への講義は無かったはずだが、確か来客の予定はあった気がする。
正確な時間を確認するためにいまだ恐縮している助手二人の名を呼んだ時、確認しようとしていた『予定』が現れた。
「こんにちは、鍾離先生!」
勢いよく開かれるドアの前に立っているのは、真新しいスーツに着られている青年――タルタリヤだった。
彼は鍾離達の返事を待たずに部屋に入ると、いつも自分が通される来客用のソファに持っていたカバンと上着を置き、きっちりと締められたネクタイを緩めて見せた。
「タルタリヤ殿」
「今日は暑いね。まだ4月なのにもう夏が来たのかと思ったよ」
「タルタリヤ殿っ」
「あ、甘雨助手、俺のことはお構いなく! 飲み物は持参してるからさ!」
「タルタリヤ殿!!」
「なんだい、魈助手?」
漸く此方の声が届いたかと思えば、悪びれた様子のないタルタリヤの姿に魈は疲労困憊と言わんばかりに肩を落とした。
疲れ切った声で「勝手に入られては困る」と入室を許可した覚えが無いと注意を飛ばせば、ノックはしたよ? と首を傾げる青年。
話が通じないと絶句している助手の姿に鍾離は苦笑いを浮かべたまま彼の肩に手を掛けると、もてなす準備をと言葉を掛け自らが対応する。
「あ! 待って待って甘雨助手。これ、お土産!」
「あ……、えっと、ありがとう、ございます……」
「わざわざ忙しい鍾離先生に時間を作ってもらったんだからこれぐらい当然だよ! 気にしないで!」
甘雨の戸惑いを遠慮からくるものだと信じて疑わないタルタリヤに、魈が見せるのはなんとも形容しがたい表情だった。
鍾離は笑い声を漏らしながらも手土産の礼を伝え、ソファへ座るよう促してやった。
遠慮なくそこに腰を下ろすタルタリヤ。きょろきょろと研究室を見渡す彼は何かを探しているようだった。
「どうされた?」
「いや、今日は学生君達も鍾離先生の恋人君もいないんだなって」
「学生達は各々講義に出ているか、帰宅しているはずだ。俺の恋人については、以前も話した通り此処の学生ではないためあまり大きな声で話すことは控えてもらえないだろうか?」
以前も同じことを伝えたと思うが。と言葉を続ければ、確かに聞いていたと全く悪びれないタルタリヤは豪快に笑っていた。