(今まで俺が見てきた鍾離先生はいったい何だったんだ)
これまで何度も顔を合わせてきたはずなのに、こんな彼を見るのは初めてだった。
以前――タルタリヤが初めてウェンティと対峙した際に見た彼の姿にも感じた事だが、普段彼が見せている姿は『人』に合わせたものだということを痛感する。
本来の姿は、岩の魔神モラクス。最古の魔神と呼ばれていた彼が自分に見せる姿など、ほんの一面――いや、ごく一部なのだろう。
同じ殺気でも、ウェンティを傷つけた際に見せた殺気とは異なる覇気にタルタリヤは改めて『敵わない』と敗北を感じた。
(分かってはいたけど、愛されてるね。ウェンティ君)
愛しているからこそ、なりふり構っていられないのだろう。
自分から愛おしい存在を奪おうとする全ての賊を殲滅することも厭わないだろう鍾離の威圧に、タルタリヤは承諾の言葉を口に出そうと試みた。
だがしかし、人ならざる者の殺気と怒気を目の当たりにしても、どうしても口から言葉が出てくれなかった。
喉奥に引っかかった『諦める』という単語。それを口に出せば最後、自分は初めて家族以外に抱いたこの感情を捨てなければならない。
それがこんなにも苦しいものだと初めて知ったタルタリヤは自身に纏わりつく殺気に対峙するよう鍾離を見据えた。
強い意志が宿る蒼い光に、鍾離の眉間には深い皺が寄る。
不機嫌なその表情を見たのも初めてだと内心笑うタルタリヤは、この恋人を溺愛している魔神に譲歩を願い出た。
「ウェンティ君には絶対に手は出さない。必ず良き友人で居続けると約束する。だから―――」
「『だから許せ』と言いたいのか?」
「っ―――」
鍾離の眼光が鋭くなったと思った次の瞬間、まるで喉を締め付けられているかのように呼吸が奪われる。
必死に息をしようと集中するのだが、喘鳴が聞こえるだけで碌に吸い込むことはできなかった。
このままでは酸欠になって意識を失いそうだと目の前が白む感覚を覚えるタルタリヤ。
しかし、何故か突如肺に流れ込んでくる大量の新鮮な空気に今度は盛大にむせてしまった。
「ごほっ、ごほごほっ……、な、なにっ、せ、せん、せ……」
「相変わらず命知らずな公子殿に威圧は意味が無いようだからな」
整わない呼吸に胸元を抑え肩で息をするタルタリヤが見たのは、長い脚を組んで優雅にソファに身を沈める美丈夫の笑み。
だがそれは好感を持てる人当たりの良い笑みとは程遠く、何かを企んでいる策士の笑みだった。
「こうしよう。戦闘に秀でた公子殿に俺が勝てれば、我が番から手を引いてもらう。逆に公子殿が勝てば、非常に不愉快だが目を瞑ろう。どうかな?」
「はっ……、『どうかな』、って……」
負ける気などさらさらないくせになんて性悪な勝負を持ちかけてくるのだろうか。この魔神は。
そんなに番が大切なら、誰にも見せず隠してしまえばいいものを。
そんな悪態を心の中で吐き捨てるタルタリヤ。他ならぬウェンティがそれを望まないからだということは分かっていたが、それでも鍾離の独占欲に思わずにはいられなかった。
「それって、俺に拒否権なんて無いよね?」
漸く整った呼吸。全身を襲う倦怠感に抗えずソファに身体を預けるタルタリヤが投げかけた質問の答えは、「公子殿が我を通すのならば」という肯定だった。