TREMOLO [ANNEX]

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見なかったことにしたい

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 気が付けば、二人の姿は空から随分離れていた。そこで漸く正気に戻り、「鍾離先生」と困惑を滲ませ男の名を呼んだ。
 歩みを進めていた鍾離はその声に立ち止まる。
 良かった。話をするつもりはあるようだ。
 そう安堵する空が立ち上がり二人のもとへと足を進めようとしたのだが、それは振り返った鍾離の表情に止まってしまった。
(うわぁ……)
 心の中で感嘆を漏らし、立ちすくむ空。
 申し訳なさそうな、だが安堵しているようなその表情を此方に向けた鍾離は、「これは夢だ」と穏やかな声を響かせた。
「目覚めれば、全て忘れている。……そうだろう?」
 投げられる問いかけ。それに否と返す度胸は空には無かった。
 無言で何度も頷けば、優しい笑みを浮かべる鍾離。
 そして、自分に向けた笑い顔よりもずっとずっと優しく甘い笑みを自身が抱いた存在に向ける姿を見れば、自分が間違っていたと否が応でも気付かされた。
(なんだ……、そういうことか……)
 ずっと二人は不仲なのだと思っていた。顔を合わせる度に言い合いをしている姿が空の中にある『真実』だったからだ。
 しかし今目の前にいる二人の姿はその『真実』からかけ離れたもので、自分が『真実』だと思っていたモノは全て二人が作り上げた『虚構』だったようだ。
 何故そんな『虚構』を作り上げて周囲に見せているのかは分からない。
 だが、はっきりしているのは二人が恋仲だという事だ。
 そしてそれは飛び切り甘い関係のようで、まさに『夢』だと言われれば信じてしまいそうになる程現実離れした光景だった。
 空の反応に鍾離は今一度笑みを返すと、再び歩みを進め、そして広々とした空間からその姿を消した。
 残された空は暫くその場に立ちすくみ、鍾離とウェンティの姿が消えた方向を呆然とした様子で眺めてしまう。
 鍾離に甘えるウェンティは実に愛らしく、普段の悪態を吐く姿からは想像もできない。
 そしてそれは鍾離も同じで、ウェンティの悪態に顰め面と圧を持って応対する姿と、先程見たウェンティを愛しむ姿は、この目で見た後でも一致させることは困難だった。
 一体どちらが二人の本当の姿なのだろうか。
 そんなことを考える空だが、自分が―――自分達が知る『本当の姿』と二人だけが知る互いの『本当の姿』は誰だって違うものだろうと思い至り、脱力した。
 とんだ茶番に付き合わされていたものだ。
 壮大なスケールで描かれた舞台の裏側などできれば知りたくないと改めて思う空は踵を返し、なにも知らず眠りこけている相棒のもとへと戻って行った。



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2024-02-08 公開



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