「おかえりー。今日は随分ゆっくりだったねぇ」
玄関の戸をくぐるとほぼ同時に聞こえる朗らかな声。
姿は見えないがその声色から上機嫌だということは分かった。
おそらくまた酒を吞んでいるのだろうと内心呆れながら「寄り道をしていた」と声を返し奥へと足を進めれば、酒瓶片手に吞んだくれている少年の姿が―――無かった。
背を向けキッチンに立つ少年の姿に唖然とするのは許してもらいたい。その姿は一年に一度見るかどうかという稀少なものだったから。
「ねぇ、モラクスって胡椒苦手じゃなかったよね? ちょっと分量間違えちゃって辛いかもしれなくてさぁ。まぁどのみち今から作り直す時間もないから苦手でも我慢してもらわないとだけど」
「何をしている?」
「『何』って、見ての通りだよ。なんだか急に風神ヒュッツポットが食べたくなったから作ってる」
稀有な光景を前に立ち尽くしていれば、反応が返ってこないことに違和感を覚えたのかこちらを振り返る少年―――ウェンティ。
どうかしたの? と言いたげなその表情に、お前こそどうしたんだと聞きたい鍾離だ。
「明日は雨か?」
「残念でした。明日も快晴だよ!」
漸く返せた反応にウェンティは一瞬驚いた顔を見せるも直ぐにいつもの飄々とした風貌で笑い、良い風が吹いているから間違いないと胸を張った。
ウェンティは既に資格を失って久しいが、かつては風神と崇められた存在だ。風から天気を読み解くことなど彼には朝飯前なのだろう。
しかし、先の言葉が嫌味だと分かっているのに機嫌を損ねるどころかこのドヤ顔だ。
懐が広いと言えば聞こえはいいが、ただ単に余計な諍いは面倒だから好まない性格なだけだと知っているから笑いがこみ上げてくるというものだ。
「そういう意味で言ったんじゃないぞ」
「それぐらい分かってますぅ。てか、なんで笑ってるのさ。いつもの小言が無いとか気味悪いんだけど」
「心外だな。俺がいつも口煩いように聞こえる」
「口煩いじゃん! お酒の呑みすぎだとか、脱いだ服を片付けろとか、ゴミは直ぐに捨てろとか」
「服もゴミもお前がだらしないせいだろう。酒に関しては適量を越えて正体不明になってるからだ」
最低限の生活力も持たない方が悪い。
そう言いきれば反論の仕様がないのか、ぐっと言葉を詰まらせるウェンティ。
鍾離はそんな少年の姿に口角を持ち上げ、「それで」と話題を変えるよう話を振った。
「胡椒を入れ過ぎた風神ヒュッツポットだったか? お前が食べれる程度なら問題ない」
「……ならいいけど」
ぽんっと頭に手を添えその緑髪を撫でてやれば何やら居心地の悪そうな様子を見せるウェンティ。
だが、手を振り払うことなく大人しくしているところから単純に照れているだけだろう。
今更この程度で何故照れるのかと思わなくもないが、予想外の手料理を前に存外浮かれていることに鍾離自身気づいているから人のことは言えなかった。
「モンドでは風花祭が開催されいてるらしいな」
「毎年この時期はね。この前からなんだか懐かしい風だなと思ってたんだ」
「それでモンドが恋しくなったのか?」
「んー……、恋しいって言うのとはちょっと違うかなぁ?」
ウェンティが璃月で暮らすようになってもう随分経つが、元々は自由を愛するモンドの吟遊詩人だ。
故郷の一大イベントに想いを馳せることは当然ともいえよう。