自分が情けないことを言っていると理解している鍾離は視線を落とし、尚も突き刺さっている視線の主に「すまない、忘れてくれ」と先の言葉を聞かなかったことにして欲しいと伝えた。一度口から出てしまった言葉を、相手に聞こえてしまった言葉を、取り消すことなど不可能だと知りながら。
しばしの沈黙が流れる。木々のざわめきと水のせせらぎだけが聞こえる空間がこれほどまでに居心地の悪いものだと感じたことは無かっただろう。
鍾離はおそらく戸惑いを覚えているだろうウェンティがこれ以上気を病まぬよう無理にでも『普段通り』を心掛けて顔を上げた。
視界に飛び込んでくるのは、柔らかな笑み。
「やっと顔上げてくれた」
その言葉と共に頬に触れる手は日頃ライアーを奏でているとは思えぬほど滑らかで馴染みが良い。
ウェンティは瞳を細め微笑むと、「そんな風に想ってくれてると思わなかった」と先の言葉はこの先何があっても忘れないと言ってきた。
己の情けない告白がそんなに嬉しいのかと頬に触れる手に手を重ね鍾離は苦笑を漏らす。格好をつけたがっていることは知っているだろう? そんな言葉を続ければ、ウェンティはますます笑みを深くし、頬から手を離すとそのまま首に腕を巻き付け抱きついて来た。
「ちゃんと伝えてくれるモラクスはカッコいいよ」
「慰めにしか聞こえないぞ」
「だろうね。でもモラクスがどう思おうともボクにとってはカッコいい告白だったから、いいの」
抱きつく腕に力が籠ったのは意識してのことだろうか?
鍾離はウェンティの身体を抱き返すと、「嫉妬というものはかくも苦しいモノなんだな」と『人』として学んだことを告げた。ウェンティはその言葉に笑い声を漏らし、「そうだよ」と自身も経験済みなことを伝えた。
物事に表と裏があるように、この世の万物は全て相反する側面を持つ。光があるところに闇が存在するのと同じで、愛しいという感情が芽吹いた瞬間から憎しみという感情を覚えてしまう。
誰かを愛すれば愛するほど、その周囲に嫉妬を覚えてしまうのは当たり前の事。
ウェンティは鍾離から身体を僅かに離すと、
「モラクスの気持ち、『愛してる』って言葉よりもずっと伝わったよ」
と、はにかんだ。
幸せそうなその笑顔に、鍾離が覚えるのは胸が焦がれる様な痛み。愛おしい存在と憎い存在が共存するその容姿に、気が付けば縋るようにウェンティを抱きしめていた。
ウェンティはそんな鍾離を抱きしめ返し、「気づかなくてごめんね」とまるで泣いている赤子を宥める様に優しい声を紡いだ。
「彼は『ボク』になる切欠をくれた人。彼が居なければ『ボク』は生まれなかった。だから、ボクはできればこの姿のままモラクスの傍に居たいな……」
心を見せてくれた大切な人。できることなら、彼の心を蝕む全てを取り除いてあげたい。
そう思っているはずなのに、こんな言葉しか返せなくてごめんなさい……。
自分を抱きしめる腕に力が籠り、心が痛む。だが、鍾離の反応が正常だ。もし立場が逆であれば、自分はこんな風に理性的ではいられない気がするから。
「モラクス、ごめ―――」
「謝るな。……お前がその姿を成している理由は理解している。理解していながら醜い感情が抑えられない俺が悪い」
「それは違うよ」
「何も違わない。俺が抱くのは変えることのできない過去への妬みだ。……俺は、お前が愛した男が憎い」
変えられないと理解しているはずなのに、どうすれば過去を変えられるのか、そればかり考えてしまう。
そう自嘲する鍾離だが、ウェンティから返ってくるのは先程とは打って変わって「モラクスのバカ」という詰る言葉だった。