優しくも力強い抱擁は凍り付きそうだったウェンティの心を溶かしてくれる。
ぐすぐすと鼻を啜りながらもぎゅっとしがみついていれば、いい加減泣き止んでくれと困ったような笑い声が耳に届いた。
抱き締める腕が緩められ、その促しに従うように顔を挙げれば自分を見つめている鍾離と目が合った。
「そんなに泣いていると、瞳が溶けてしまうぞ」
「だってっ、だってぇぇ……」
「ああ、分かっている。……俺も今お前がこの腕に居るという事実に心底安堵しているからな」
失わずに済んでよかった。
そう言いながら未だ涙が零れる瞳に落ちてくる口づけ。チュッと瞼に触れるぬくもりに、唇にもと求めるウェンティ。望むモノはすぐに与えられ、触れるだけのそれが恋しくて離れた唇を追うように自らも口づけた。
愛らしい恋人からのキスに鍾離が応えないわけもなく、触れるだけの口づけはすぐに深いものに変わり、全身でお互いを感じることができてまた涙が零れてしまう。
唇を離した鍾離からは、幸せゆえの涙と分かっていても心が痛むと苦笑いを貰ってしまった。
「うぅ……、ごめん……、ごめんね、モラクス」
「謝るな。……すべての原因はお前にきちんと説明していなかった俺にある」
「そんなことない。いくら恋人でも、心を全部共有できるなんて無理だってちゃんとわかってるから」
「それでも俺はそうあれるように努力したい。お前も、諦めるよりもまずそうしてくれ」
伝えることができないと諦めて隠し事をされたら、きっと自分は嫉妬に狂ってしまうだろう。
そう言いながらウェンティを抱きしめる鍾離は、自由を愛する恋人に「閉じ込められたくないだろう?」と冗談めかしに尋ねた。
それは軽い口調だったが、彼の本心だという事はなんとなく伝わった。だからウェンティは鍾離に抱き着き、「ちゃんと努力する」と約束を交わした。
「あ、でも、閉じ込められたくないってわけじゃないからね? モラクスの傍に居られるなら、自由じゃなくても平気、な、はず……」
「その気持ちだけで十分だ」
鍾離は分かっている。自由を奪われてしまえば、きっとウェンティはウェンティで無くなってしまう。と。
そしてまた、ウェンティ自身もそれを理解している。それでも、自由を無くしても良いと伝えるのは、それほど鍾離が好きだと伝えたかったから。
言葉ではなく、心を受け取ってくれた鍾離。こんなにも愛されていると改めて実感したウェンティは、昨日の自分に『モラクスが浮気とかありえないから』と言ってやりたいと思ったとか。
「お前と出会って、お前を愛して、俺は初めて『愛とはなにか』を知ったと今回改めて実感した」
「どういうこと?」
「お前と出会うより以前の俺に有った『愛』は『博愛』だけだったらしい」
おずおずと胸に埋めていてた顔を上げるウェンティ。その動きに気付いたのだろう。鍾離は再び腕を緩め、視線を交えるように見下ろしてきた。
美しい琥珀色は穏やかな輝きを放ち、瞳の奥には愛おしさを感じる。
愛されていると眼差しだけで伝えてくる恋人に、ウェンティは鍾離の『博愛』は知っていると笑った。彼に初めて会った時からずっと、誰よりも心優しくて、誰よりも心の強い神様だと憧れていたから。
「当時の俺には、他が口にする『愛』と何が違うか分からなかった。旧友からは『その胸を焦がす出会いがあれば教えて欲しい』と言われるぐらい、『愛とはなにか』を理解できていなかった」
「そっか……。モラクスにも分からないことがあったんだね」
「ああ。一応分かったつもりではいたんだがな。……それが間違いだという事を俺に教えてくれたのはお前だ、バルバトス」
愛おしい璃月の民達。愛おしい友人達。これまで鍾離が感じていた『愛おしい』が当てはまらない存在、それがウェンティだった。
相手の笑顔を見て感じる喜びは、同じ。だが、その笑顔が自分以外のものに向けられたものであれば、感じたのは怒りだった。
この感情が何か、気付くまでに時間を有した。そしてこれこそが旧友が言った『胸を焦がす』と『愛』なのだと知った。