啄むように二度、三度口付けてくる恋人は己の姿を翡翠に移す様に視線を合わせ、「用意していた酒はお前を表すものだった」と表情を苦笑いに変えた。
「『ボクを表す』って、どういうこと?」
「お前を紹介するとなると、酒は欠かせないだろう?」
「それは、そうだけど……」
「実は、お前を連れて行くことも考えてはいたんだ。だが、旧友は故人。お前が気を病むと思い至ってそうしなかった」
鍾離は、亡き友との『約束』を果たすためとはいえ、愛しい存在が気落ちする姿を見ることは耐えられないと判断した。
そして、経緯を語ってもそれは同じ事だろうと思ったと言う。だから酒を用意し、旧友が眠る地でそれを呑みながら彼女と交わした『約束』通り、自身の胸を焦がす存在がいかに愛おしい存在であるかを語ろうと思っていた。と。
続けられた言葉に、ウェンティはどういった表情を返せばいいのか分からなくなる。恋人がこれほどまでに自分を想い行動していたなんて思いもしなかった。そして同時に彼が昨朝脱力した理由も理解できたからだ。
鍾離にとって昨日は確かに『特別』な日だった。遠い昔に交わした旧友との『約束』を果たす事ができる日だったのだから当然だ。
そして彼はウェンティが気落ちすることを想定し、恋人の安寧を守るためにこれらを一切語るつもりはなかった。
しかし、『約束』を果たすために用意した『恋人』を象徴する酒を、こともあろうか本人がダメにしてしまった。
これは鍾離じゃなくとも脱力するだろう。むしろあの程度で済んでよかったとすら思える。
あの時恋人が放った言葉を酷い言葉だと思ったウェンティだが、憤りとやるせなさを抑えていただろう彼の心中を考えれば自分の態度こそ酷いものだったと思わされた。
ウェンティは自身の非を改めて謝罪する。だが、鍾離はそれを聞き入れることは無く、お互い様だと恋人を抱きしめた。
「いかなる理由があろうとも、お前を傷つける言葉を口にしたのは紛れもない事実だ」
「でもそれは―――」
「お前が言わんとすることは分かっている。だがお前が去った後、俺は自分が取り返しのつかない過ちを犯したと後悔したんだ」
怒りに任せて飛び出したウェンティが自身の力を使ったことは直ぐに分かった。
そしてそれに気づいた瞬間、己が冷静さを欠いて酷い言葉を浴びせたことに鍾離は気が付いた。
目の前に広がる静まり返った空間に彼が感じたのは、不安だった。愛しい存在はもう此処に戻らないかもしれない。と。
あの程度の言い合いで。と過った可能性を否定したものの、自身が発した言葉の数々を『あの程度』と言う事が果たして適切だろうかと自問した結果、居ても経っても居られなくなり、行方を捜しに家を飛び出したと鍾離は言う。
己の力を使い恋人の気配を探った彼は、ウェンティの行く先に何があるかを知り、呼吸が止まったらしい。
ウェンティが向かっている先にあるもの。それはかつてウェンティが統治した国、モンドだった。
頭を過った可能性が一気に現実味を帯びた瞬間だ。
鍾離はそのまま恋人を追いかけようとした。自分のもとから去ることなど許せるわけがない。と。
だが、既に心が離れてしまっているのでは? と先の暴言に足が竦み、情けないことに追うことは叶わなかった。
「俺は自分がこんなにも臆病だったとは知らなかった」
「モラクス……」
「お前が俺のもとから去る決断をしていると言うのなら、俺にはもうどうしようもないことだ。……去るお前を引き留めるために俺にできることなど、何もないからな……」
「モラクスと離れるなんて、そんなこと一度も考えたことないよ。むしろ、モラクスがボクの事嫌いになったんだって、他の人を好きになったんだって、悲しくて、苦しくて――」
記憶が訴える痛みに視界が歪む。ウェンティは慌てて目を擦り、優しい恋人に心配をかけまいと努めた。
鍾離はそんなウェンティを抱きしめ、「分かっている」と笑った。
「だから迎えに来たんだろう?」
心が離れてなどいないと分かったから、自信を持って迎えに来ることができた。取り戻しに来ることができた。
そう言って笑う鍾離は、「俺を呼ぶ風を吹かせたのは無意識か?」と涙で潤んだウェンティの瞳に口付けを落とした。