愛する者と添い遂げると決めた時、『人』は『結婚』という儀式をもってその意思を示すことがある。それは理解しているつもりだったのだが、何故か自分には―――自分達には無関係なものだと思っていた。今、『人』として生きているにもかかわらず。
「なんか、びっくりしたね。まさかそんな風に思われてるとは思わなかった」
黙ったままの鍾離に不自然なほど明るい声をかけるウェンティ。
別に先の話題が気まずいというわけではない。しかし、『無関係』と思っていたのは自分だけであり恋人がどう思っているかは分からないため、反応に困るのだ。
(でもモラクスはボクよりも『人』として生きる選択をしたのが随分遅いし、考えたことなさそうだよね)
盗み見るように恋人に視線を向ければ、彼は黙って紅茶を楽しんでいた。
特に気にしている様子もない姿に、安堵したのは半分だけ。もう半分、何故か心に生まれたのは不快感だった。
先も言った通り、『結婚』とは愛する者と添い遂げる決意の証。神に、家族に、友人にその誓いを宣誓することで自分達の想いを証明しようとするものだ。
それなのに鍾離はその話題に興味を示すことは無く、むしろ『関係ない』と言わんばかり。
自分だってついさっきまでそうだったはずなのに、ウェンティは恋人が自分と生涯添い遂げる気など毛頭ないのだと感じてしまって悲しいやら腹立たしいやらと感情が激流に呑まれているように感じた。
昇華できない不快感にウェンティが黙って酒を煽っていれば、呑み過ぎだとグラスを取り上げてくる鍾離。
渦巻く感情のまま「返してよ!」と恋人を振り返った時、彼が見せたのはいつも通りの愛しみに満ちた笑み。でも、その笑みに少し翳りがあると感じるのはウェンティの気のせいだろうか?
「モラクス……?」
「……お前は『自由』の象徴だ」
どうかしたのかと心配になり、つい真名を呼んでしまう。
幸いにも酒場の喧騒にそれが他者の耳に届くことは無かったが、鍾離にはちゃんと聞こえていたのか笑みが苦笑に変わった。
鍾離は取り上げたグラスをカウンターに戻すと、ポンっとウェンティの頭に大きな手を乗せた。
「『自由』を愛するお前を縛り付ける事はしたくない」
「ど、いうこと?」
「俺は『契約』を重んじる」
何が言いたいのかと眉を下げるウェンティ。
鍾離は瞳を伏せ、呟いた。
岩神モラクス。またの名を契約の神。それが鍾離の通り名だ。
ウェンティもそれは良く知っているため、何故鍾離が改めてそれを口にするのか理解できないでいた。
「『婚姻』とは璃月では『契約』だ。一度締結した『契約』は双方の意志が合致しない限り破棄されることは無い」
ウェンティの髪を撫で慈しむ眼差しで見つめる鍾離は何処か悲し気に笑った。
「俺はお前に『自由』であって欲しい。それが――『自由』こそがお前だからだ。だがもし『契約』を結べば、俺はお前の『自由』を許せない。もしもお前が『飛び立つ』というのなら、俺は『契約』の名の下その翼を奪ってしまうだろう」
俺はそれが恐ろしい。
そう呟いた鍾離は苦笑を濃くし、「あの義兄弟は余計なことを教えてくれたものだ」とこの場に居ないディルックとガイアの余計なお節介に肩を竦ませた。