TREMOLO [ANNEX]

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君の知らない物語

20



 ウェンティはあの日、まだ眠っている鍾離に最後の別れを告げると彼のもとから逃げる選択をした。
 目覚めた鍾離に何があったこと問い詰められることと、『何があったか』を知った鍾離に嫌悪を向けられることを恐れた結果だった。
 今此処で立ち去れば、自分の記憶には自分を愛おしんでくれた鍾離の表情が残り、たった一度でも、たとえまやかしでも、愛した人に愛された思い出があれば生きていけると思ったから。
 だが、実際は思い通りにはいってくれず、数えるのも飽き飽きするほど、夜毎辿った宝物のような思い出は、ウェンティの心に重く暗い影を残していった。
 一度知ってしまった熱は身体を蝕み、仮初の愛は心を侵食してゆくものだとは知らなかった。
 『もう一度……』と願ってしまう浅ましい自分の欲に堪え、毎夜自分を慰め涙するウェンティは、気が付けば彼との思い出の地を巡っている自分に自嘲を漏らした。
(『愛してる』って気持ちがこんなにも苦しいものだとは知らなかったな……)
 ドラゴンスパインの西に位置する断崖で眺めるのは、雄大な海の向こう側で栄える彼が治めた広大な国土。
 大昔、まだ自分が失態を犯して彼から嫌われる前の事、此処で待ち合わせて酒を呑み交わしたことがあった。
 あの時は互いの国の未来を語り、時折友人にしては甘い雰囲気に酔いしれたものだ。
 思い返せば、あれが一番幸せな彼との思い出かもしれない。
 そんなことを考えながら、此処に来る前に立ち寄ったモンド城で買ってきた林檎酒の栓を開けるウェンティ。
 できることなら、あの時に戻りたい。
 そう思ってしまうのは、愛しい彼にもう二度と会うことができない苦しみからの逃避だった。
(人ってすごいよね、こんな想いを何度も味わえるんだから)
 ボクはたった一回でこの様なのに。
 笑いながら空を仰ぐのは、かつての友に答えを求めているからだろうか。
「ねぇ、誰かを好きになることがこんなにも苦しいことなら、ちゃんと教えておいてよね」
 おかげで毎日苦しいんだけど!
 そんな八つ当たり染みた愚痴を空に投げかけるウェンティは、自身の笑顔が歪んでゆくのを感じた。
 情けない。
 そう思いながら視線を下げ、行儀悪く直接瓶に口をつけて林檎酒を流し込めば、果実の爽やかさと僅かな炭酸が喉を擽った。
 モンドのお酒はテイワット一と称えられるほど美味しい。それなのに、そんな美酒を味わいながらも気持ちが晴れないのはどうしてだろう……。
「……逢いたい」
 ぽそっと唇から零れた言葉に、ウェンティ自身、驚いた。
 完全に意識せず口から出たそれは、もうずっと呑み込んできた『本音』だった。
 途端、視界が歪む。
 それが涙のせいだという事は直ぐに理解できたのだが、理解できたせいで悲壮感が増してしまい、ずっと押し込めてきた『心』がもう堪えられないと悲鳴を上げた。
「うっ……ううっ……、もら、くすっ……もらくすぅ……」
 手から零れ落ちた酒瓶は生い茂る芝生の上に転がり、トクトクと美酒を大地に献上する。
 その隣で蹲るウェンティは、どうかこの想いも美酒と共に大地に還して欲しいと願わずにはいられなかった。



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2024-02-21 公開



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