「安心してよ、鍾離さん。いくら私が変わり者だと言っても堅物なうちの客卿の春を邪魔するなんて野暮な真似しないから!」
ニヤニヤと笑って鍾離のもとに戻る胡桃は途中で足を止め、振り返った。
内心ぎくりとしたが、何とか取り繕うウェンティは「鍾離先生に春が来たのかい? それはおめでとう!」と満面の笑みで彼を祝福して見せた。
必死に自分達の関係を隠そうとしている姿はよほど滑稽だったのだろう。鍾離は笑いを堪えながら「ありがとう、ウェンティ殿」と声を震わせて返事をしている。
(もう! 誰のせいだと思ってるんだか!!)
他のものならいざ知れず、海灯祭で囲った円卓での自分達の険悪さを知っている胡桃の前で恋人然とした振る舞いなどできるわけがない。
必死に今年の海灯祭で知り合ったモンドの吟遊詩人と往生堂の客卿という体を装っているのに、それを笑うなんて酷い恋人だ。
「到来した春に感けて今日なんてモラを持たずにお使いに出て、ってこれはいつものことだけど、でもツケ払いで買ってきたのが全然違う品っていう有様なんだから驚きでしょ?」
「わぁ! それは凄い。随分気も漫ろで仕事をしているんだね?」
「もうその人に夢中らしいから! 毎日毎日逢いたい逢いたい聞かされるこっちの身にもなってもらいたいものだよ」
ねぇ? 鍾離さん?
そう言って鍾離を振り返った胡桃が一瞬見せた笑みを『意味深』だと思うのは何故だろう。
ウェンティは自身の頬が引き攣っていないか心配になってしまう。
「仕方がないだろう? 長年想いを寄せていた相手と漸く恋仲になれたんだ。これぐらいは大目に見てはもらえないか?」
「ほら! ほらほら! もうずっとこの調子なんだよ? ウェンティさん、どう思う!?」
「あはは。凄いね。鍾離先生のこんな姿を見られるとは思わなかったよ」
頼むから話を振らないで。
内心大騒ぎしながらもいつも通りの朗らかさを保つウェンティには脱帽だ。
だがそんなウェンティの心中を知ってか知らずか、鍾離は猶も茶化してくる胡桃に向けていかに自身の恋人が愛らしく尊ぶべき存在かを語っている。
(無理っ! 顔、顔に出るっ!!)
これ以上は堪えられない。きっと抑えていた羞恥に顔は一気に真っ赤に染まるだろう。そう、大好きな林檎のように。
どうしたらいいんだと気が気でなかったウェンティの耳に届くのは、胡桃の「はいはい! もうお腹いっぱいだよ!」という声。
何とか最後の力を振り絞ってポーカーフェイスを保ったまま彼女達へと視線を向ければ、げんなりしている胡桃と満足気な鍾離の姿が目に入った。
「もういいのか? いつも教えろとしつこいぐらいに聞いてきているだろう?」
「それは鍾離さんが全然教えてくれないからでしょー! 全く、何に付き合わされているんだか!」
ぎろりと客卿を睨みつける胡桃の眼差しに鍾離も気が済んだのか肩を竦ませ口を噤んだ。
ご馳走様でした! と踵を返し歩き出す胡桃。その後ろを鍾離が追おうと歩を進めるよりも先に「今日はこれで解散! お疲れ様!」と振り返らずに胡桃が声を張り上げた。
これ以上惚気を聞かされるのは御免だと言ってウェンティに別れを告げて後ろ手を振る胡桃は、いったい何処まで分かってやっているのだろうか?
「胡堂主、気遣いに感謝する」
「はいはい! 感謝よりも明日はちゃんと働いてくれればそれでいいから!!」
「ああ、善処しよう」