モンドの酒場・エンジェルズシェアはいつも酒を楽しむ人々の笑い声で溢れている。
勿論今日も大いに賑わい、一日の疲れを労うように人々は酒を呑み交わしていた。
そんな中で喧騒とはミスマッチな美しい唄声を響かせているのは、モンド一の吟遊詩人と名高いウェンティだ。
彼はライアーを弾きながらその唄声で人々を魅了しているのだが、その声が不思議と酒場に馴染んでいるのはやはりその才能故だろうか。
美しい唄声に人々は歓喜し、踊り出す者も居る。詩が終わると酒を手にアンコールを強請る者も居て、唄声は止まない。
美酒を美声にエンジェルズシェアは今日も大賑わいだ。
人々の喜びに満ちた表情を肴に酒を呑んで唄うウェンティ。だが、ピクリと身体を僅かに震わせた彼は、直後その唄声を不自然に途切れさせてしまった。
BGMを失った人々は何事かと吟遊詩人に視線を送る。
人々の視線を貰ったウェンティは、ごめんごめんと笑顔を見せるも、今日はこれで店仕舞いだとライアーを片してしまった。
詩を楽しんでいた人々から上がるのは残念がる声。
だが、謝るウェンティにしつこく食い下がってくる者は居らず、また今度楽しみにしていると名残惜しそうにではあるが引き下がってくれた。
気の良いモンドの人々への挨拶もそこそこに、賑わいから遠ざかるウェンティ。
飲み干したグラスを手にカウンターに戻れば、珍しくバーテンダーとしてシェイカーを振っているディルックから「今日はお早いお帰りですね」と視線を貰った。
『人』にしては鋭い青年は全て分かっているのかと驚くウェンティだが、「それとも、唄うよりも吞みたくなったのですか?」と言葉が続けば、早とちりだったようだ。
「お酒も良いけど、今日は気持ち良い風が吹きそうだから帰るよ」
ウェンティはディルックの前にグラスを置くと、また来るよと言葉を残してエンジェルズシェアを後にした。
酒場を後にしたウェンティは、少し足早に夜の街並みを通り過ぎる。
やがてモンド城を抜けた彼の足は駆け出していて、その姿はまさに『急いでいる』と言っても過言ではないだろう。
「! っ、も、ぉ!! スケベジジイっ!!」
頬を擽る感覚は、吹き抜ける風によるものではない。
ウェンティはピクリと肩を震わせ、辺りに『人』の気配がないことを確認すると、風に乗った。
モンドの大地を巡るそれは、彼を目的の場所まで導いてくれる。そう。風立の地を見守る風神の七天神像のもとへと。
大樹の傍で広原を守る七天神像。かつての自分の姿を模したそれの肩には、一人の男性が立っていた。
男性の手は神像の頬に触れ、それはそれは愛おしそうに石像を撫でている。
その手がどれほど優しいものであるかは、七天神像と感覚を繋げたウェンティには嫌と言うほど分かっていた。
「! モラクスっ!!」
声を荒げ呼ぶのは、男性の真名。『凡人』としての名を呼ぶべきだということは理解しているが、周囲には自分達以外誰もいないから許してもらいたい。
ウェンティの声を聞いたモラクスーー鍾離は動きを止め、視線を此方に向けてくる。だが、彼はにやりと意味深な笑みを浮かべると、そのまま視線を戻し、神像の頬に口づけを落とした。
直接触れられているわけではない。だが、ちゅっと唇が離れるリップ音までご丁寧に聞こえてくれる。
スピードを落とさず風に身を任せるウェンティは、そのままの勢いで鍾離に突進してやった。