「……っ、ん……」
小さな呻き声のような声の後、ゆっくりと姿を見せる琥珀色。
それはぼやけた世界をモラクスに見せるが、直ぐに靄は晴れ、いつも通りの鮮明な視界を取り戻す。
穏やかに晴れ渡った箱庭と、詩を奏でるバルバトス。
そよぐ風は穏やかで心地良く、自身の心が少し軽くなっているように感じた。
「……何故まだ居る」
項垂れるように頭を抱えるモラクスが覚えるのは、羞恥に似た感情。
まさかずっと隣で唄い続けていたのかと悪友の正気を疑えば、ぴたりと音は止んだ。
「ごめんね。でも此処なら好きなだけ唄えるんだもん」
此方を見るバルバトスは目尻を下げて微笑み、出来ればもう少し唄わせて欲しいと言ってきた。
モラクスはその申し出に顔を顰めた。
だがそれは嫌悪や怒りという感情からではなく、先程覚えた羞恥のような感情からだった。
眠る前、彼は摩耗を恐れ、正気を失う未来を恐れ、自害すら考えていた。
しかし今は摩耗を恐れてはいるものの、正気を失う未来に向き合い、己の命を、使命を果たそうと考えることができるようになっていた。
それが眠ったことによる回復だと思い込むことも可能だが、彼は分かっていた。悪友の唄声に、癒されたという事を。
眠りに落ちた後も、聞こえていた美しい歌声。それらがどんな詩だったかは分からないが、そよぐ風のように自分を包み込むような優しい音色だったことは身体が覚えている。
きっとバルバトスは全てを知って上でこの箱庭に訪れたのだろう。
友を屠った自分を癒す為だとは断言できないが、それでも、眠る自分の傍で唄い続けていた悪友の奏でた音色を聞く限り、そうだとしか思えなかった。
そしてそれを言葉にすることなく、あくまでも『我侭』として箱庭に留まることへの許可を求めている。
普段は自分勝手で自由奔放な呑兵衛の癖に、こんなところで風神然とした振る舞いを見せてくれるな。
そんなことを思いながらモラクスは窓辺から降り、邸宅の奥へと歩いて行く。
「好きにしろ」
いつもは迷惑をかけるバルバトスを自分が怒鳴りつけているのに、なんて様だ。
モラクスは悪友の気遣いに居た堪れなさを覚えながらも、彼の申し出に拒否の言葉を返すことは無かった。
「ありがとう、モラクス」
背後から聞こえる声は何処か嬉しそうなだと感じるが、それは自分の気のせいだろうか。
やがて聞こえるライアーの音色。そして、詩を唄う声。
その声は寝床から聞こえたが、やはり隣で聞いているよりずっと音はくぐもっていた。
モラクスはおもむろにベッドから降りると寝室の窓を開ける。
くぐもっていた音は鮮明に聞こえるようになり、彼はそのままベッドに戻らず壁に背を預けるようにその場に座り、目を閉じた。
「まさかお前に慰められるとはな……」
そんな自嘲を零しながらも、モラクスの口角は笑みを称えているようだった。